権堂のイトーヨーカドーの少し南側、「長野東宝中劇」という映画館の跡の一部で、新たに木造の居酒屋の新築工事が行われています。しばらく空き地だったのですが、ついに建物が建ちます。(全部ではなくて、跡地の一部は、コインパーキングです)
長野東宝中劇は、戦後の昭和23年(1948)に上映を始めた市営長野中央映画劇場が前身です。2007年4月に、惜しまれながら閉館しました。ここは、ドラえもんの上映館でしたから、とりわけ「この場所で子どもの頃初めて映画を観た!」と懐かしく思う長野市民も多いことでしょう。
スタジオジブリの「となりのトロロ」「火垂るの墓」もここで上映されました。
最終日の上映もやっぱり「ドラえもん」。私も最終上映に足を運び、「ドラえもん のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~」を観たことを思い出します。
閉館当時の様子
小林玲子の善光寺表参道日記 来月閉館の「長野東宝中劇」
権堂では、大型店を含む再開発計画が持ち上がっています。ここがその対象エリアになるのかどうかはわかりません。でも、まちに駐車場が増えて行く中、このような民間での新築工事は、とても貴重に思います。
ところで、長野郷土史研究会青年部では、9月24日(土)に「まちなか 映画館と映画館跡めぐりツアー」を計画しています。16時に、中央通りの権堂アーケード西側入口(旧つづきや前)に集合。1時間程かけて、権堂や西鶴賀周辺を歩きます。(申し込み不要、参加費500円)
もちろん、この中劇跡も行きますよ。
権堂や西鶴賀には、長野東宝グランド、長野東映、長野映画劇場・長野ピカデリー、菊田劇場・長野商工会館(後のニュー商工)などの映画館もかつてありました。
映画館を通して、長野のまちの記憶をたどることで、次のまちづくりへのヒントも得られるかもしれません。
善光寺表参道の中央通り、そして406号線の大門から西を走っているアルピコ交通「川後経由 滝屋行き」の路線バスがあります。1日に、平日と土曜日にわずか4本、日曜祝日は運休です。
同じ道を、戸隠中社行きや、鬼無里行きも走っていますが、戸隠や鬼無里という地名なら、長野市民にはよく知られています。でも「川後」や「滝屋」ってどこなのかは(その地域の方には申し訳ないですが)ほとんど知られていないのではないでしょうか。
ダイヤはこちら↓ (川後線)
https://www.alpico.co.jp/access/nagano/kinasa/
川後は小田切地区、終点の滝屋は七二会地区です。長野市街地から近い、中山間地です。川後にはかつて、小田切小学校と、小田切中学校がありましたが、それぞれ1997年と98年に閉校しました。もとは川中島バスの路線でしたが、現在は長野市がアルピコ交通に委託している廃止路線代替バスです。
この路線バスは小田切地区の小中学生が加茂小学校や西部中学校に通う足として走り続けています。
私は1度だけ、このバスで川後まで行ったことがあります。狭い道のカーブをうまくハンドルを切りながら走る運転手の腕は熟練者の技です。
小田切地区(小田切村)は昭和29年に長野市に合併しました。現在、長野市の住民自治協議会レベルでは最も小さな地区で、人口は800人余。
このバスを見るたびに、中山間地に囲まれて長野というまちがあるのだということを大事にしなければという思いになります。
いつまでも頑張り続けてほしい路線です。
長野市民会館(2011年閉館)跡に、新しい長野市役所第一庁舎と合築された「長野市芸術館」が2016年5月8日に開館しました。メインホールのこけら落としは8日でしたが、11日には芸術館3階の「アクトスペース」でこけら落としの演劇公演がありました。
アクトスペースは、長野芸術館内の演劇・ダンス主体の多目的ホール独自の名称で、全国でもここにしかない名称です。
「長野市芸術館アクトスペースと 門前町長野の小劇場のためのイヤーブック THE ACT(ジ・アクト)」が発行されました。28ページほどの冊子で、今後芸術館で無料配布されます。
その「THE ACT(ジ・アクト)」に、「善光寺横の劇場から、長野市芸術館へ ~まちと映画館の視点を交えて~」という文章を寄稿しました。明治の初め、善光寺に隣接していた常磐井座(ときわいざ)や三幸座(みゆきざ)、また権堂にできた千歳座(現・相生座)などが、今の長野市の劇場のルーツであることを書いてみました。
映画館と劇場の区分がはっきりするのは、第2次大戦後のことで、それまでは芝居や演劇を行う劇場が、映画の上映や催し物など市民ホールの役割も担ってきました。
長野の演劇文化発祥の地は、やはり善光寺界隈です。
機会がありましたら、お手にとってご覧ください。(小林竜太郎)
少し前まで当たり前だった風景が、ある時気がついてみたら、もう見られなくなっていたというのはよくあることです。
この春、この「宇都宮タクシー」の濃い緑の車両が姿を消しました。
屋根の上に「ハイヤーとタクシーの宇都宮」と書いてあるのが特徴的でした。
ハイヤーもタクシーもあまり区別せずに使われますが、そういえば、最近はハイヤーと言う人を聞かなくなりました。
私の祖父は、タクシーよりハイヤーという言葉をよく使っていたのを思い出します。「ハイヤーを呼んで・・・」などと。
既に昨年から宇都宮タクシーはアルピコの傘下に入っていましたが、この平成28年4月1日、宇都宮タクシーはアルピコタクシーに合併して、車両はアルピコカラー(アルピコ交通のバスと同じ)になりました。宇都宮タクシーは、善光寺にほど近い新町に本社があり、善光寺で客待ちしているタクシーとしては一番台数が多いタクシーでした。緑が美しい善光寺周辺のイメージにもなじんでいたように思います。
宇都宮タクシーの新町の本社はアルピコタクシーの「善光寺下営業所」として残るため、今までの運転手さんとお目にかかれる機会は多いでしょう。
でも、ボディーの濃い緑は完全に姿を消してしまいました。
(小林竜太郎)
1月26日、NHKラジオ第1「ゆる~り信州」に出演して、長野県の映画館についてお話させていただきました。以下、その内容をお伝えいたします。
善光寺の門前町として発展してきた長野の町ですが、明治の初めになると、善光寺の周辺には芝居小屋ができてきました。それが今の長野市の映画館の起こりです。私は、10年程前から映画館の調査もしています。
2016年1月現在、長野県には、常時映画を上映している映画館(シネコンを含む)は9つの市と村に、計13か所あります。高知県のように、県庁所在地の高知市にしか映画館がなくなってしまったという県もありますので、とても多い方です。(長野県より面積の広い福島県でも、今は3つの市にしか映画館はありません)
映画館が長野県では最も多かったのが昭和37年(1962)です。なんと、125館もありました。北は信濃町や木島平村、南は、根羽村や南木曽町といった町村にも映画館があったのです。
その中でも、昭和30年代の映画の全盛期から現在に至るまで同じ名前が続いている歴史ある映画館を南から紹介しましょう。
●飯田市にある「トキワ劇場」。今の建物は、昭和40年代に建て直されています。
●伊那市にある「旭座 1」。明治時代に芝居小屋として始まって、今の建物も大正時代に建てられた建物。既に100年が経っています。
●茅野市にある「新星劇場」。現在は、定期上映はしていません。
●岡谷市にある「スカラ座」。現在は、7つのスクリーンのあるシネコンになっています。
●塩尻市にある「東(あずま)座」。今の建物は、昭和50年代に建て直されています。
●松本市にある「ピカデリーホール」。現在は、定期上映はしていません。
●上田市にある「上田映劇」。現在は、定期上映はしていませんが、大正6年(1917)に建てられた歴史ある映画館です。
●長野市の長野駅前にある「千石劇場」。私が調べたところ、昭和25年に、長野県内では一番最初に鉄筋コンクリートで建設された映画館です。
●長野市の権堂にある「相生座」。明治25年(1892)に千歳座という芝居小屋として始まり、明治30年に、日本に初めて映画(活動写真)が入って来た時から上映しています。私は、現在定期上映している日本の映画館の中で、最古ではないかと考えています。
信州は各地に「まちの映画館」が今もいくつも残る場所です。地元の映画館で映画が見られるのを、とても大事な文化として残していきたいものです。
(小林竜太郎)