門前には、古い歴史のあるお店がたくさんあります。
明治・大正時代に創業した店はもちろんのこと、江戸時代の
創業という老舗中の老舗もあります。
『長野商工会議所60年史』(昭和37年発行)に載って
いる店の中から、江戸時代創業とされている所を紹介します。
この他にもあるはずです。
店名は昭和37年当時のもの。( )内は当時の業種です。
<北石堂町>
塚田商店(靴鞄)
塚田仏具店(仏具)
<桜枝町>
三原屋(味噌醤油醸造)
<新町・伊勢町>
笠原十兵衛薬房(薬種)(創業は江戸以前の1543年といいます)
満留八(仕出し)
<新田町>
角大宇兵衛商店(医薬品)
<大門町>
柏与(紙文具)
喜多の園(茶)(現在は元善町で営業)
五明館扇屋(旅館)(現在はレストラン)
西沢書店(書籍)
ふぢき(そば)
藤屋旅館(旅館)(現在は結婚式場・レストラン)
藤嘉陶器店(陶磁器)(現在は新田町で営業)
八幡屋磯五郎(唐辛子)
<西之門町>
小松屋(荒物)
よしのや(酒味噌醤油醸造)
<西後町>
笹本商店(洋品)
<東町>
花岡本店(酒味噌醤油)
三河屋庄左衛門商店(食料油)
<東後町>
柏友(衣料品)(現在、食品店)
金石総本店(繊維品)
つづきや呉服店(呉服)
つるや(菓子)
<南石堂町>
糀屋本店(味噌醤油糀醸造)
<元善町>
雨宮商店(仏具)
柏屋商店(土産品)
喜多平(そば)
滝文商店(物産)
槌(つち)茂商店(小間物)
松井屋商店(物産)
南屋菓子店(菓子)
<横町>
能登屋家具店(家具漆器)
たとえ店の建物は新しくなっても、代々受け継がれてきた
お店が、この町の暮らしを支え続けています。(小林)
「ヴィナス」という店をご存知ですか?
かつて、今のセントラルスクゥエア(問御所町)の場所にあり、
善光寺からは最も近い大型店でした。昭和43年(1968)に
開店し、昭和55年(1980)に閉店しました。
ヴィナスは、門前に住み続けてきた方々(30代半ば以上?)
には懐かしい思い出になっているようです。
「そういえば、ヴィナスってあったよね」とよく話が盛り上がり
ますが、年齢のせいで、私には記憶がありません。
そのヴィナスの昭和50年3月のちらしが、我が家の
ダンボールの中から出てきました。
(別に歴史的な価値があると思って保存していたのではなくて、
偶然残っていたのです)
ちらしからわかるのは、4階建ての建物で、エスカレーターが
あったことです。「ご家庭の幸せをお約束する総合百貨」とあり
ますが、中心は衣料品で、4階には食品売り場がありました。
昭和40年代後半から50年代初めの中心市街地には、長崎屋、
ダイエー、イトーヨーカドーと次々大型スーパーが出店しました。
大型スーパーの先駆けとして愛用されたヴィナスでしたが、後から
進出した店に勝てなかったのです。
どなたかヴィナスの外観の写真をお持ちでしたら、お知らせ
ください。私はどこでも見たことがなく、とても貴重です。
現在、大門町で旅館を営んでいるのは、「清水屋」だけに
なってしまいました。けれども、かつては多くの旅館がありました。
それは、大門町が江戸時代、北国街道の善光寺宿で、旅人の
泊まる宿場町だったことの名残りです。
約60年前の昭和24年(1949)には、少なくとも7つ
ありました。
藤屋
五明館
清水屋
小妻屋
白木屋
山屋
宝屋
五明館(ごめいかん)の広告(『長野市とその周辺』より)。
よく見る建物ですね。そう。今の善光寺郵便局の建物は、かつて五明館旅館でした。
この写真は、明治35年(1902)8月の大門町の風景です。
(長野郷土史研究会 小林一郎蔵)
今の八幡屋磯五郎の前から、南(長野駅方面)を眺めたところ
です。
中央通り(善光寺表参道)が今の幅に広がったのは大正時代の
ことですから、今よりまだ道幅は狭い状態です。
左に、「ふぢや平五郎」と書かれた看板のかかった3階建ての
藤屋旅館(今の「THE FUJIYA GOHONJIN」)があります。
この建物は、大正時代に今のもの(登録有形文化財)に建て替え
られました。
写真の外に「大門町通り」と書かれていることにご注目
ください。当時は、「中央通り」のように大門町から末広町
までを通して呼ぶことは一般的ではありませんでした。
大門町に続く南は、
「上後町(かみごちょう)通り」、
さらにその先は
「下後町(しもごちょう)通り」などと呼ばれていました。
大正3年(1914)、東之門町に「長野演芸館」が開館しました。
長野演芸館は、長野市初の、常設の映画館
(いつも上映している映画館)でした。
演芸館は、映画全盛期の昭和30年代を過ぎて、
昭和40年代に入っても営業を続けていましたが、昭和48年
(1973)に閉館しました。
善光寺のすぐ近くに長い間映画館があったというのは、
それだけ門前が賑やかな場所だった証拠ですね。
現在、演芸館の跡は、画廊・喫茶ロートレックになっています。
権堂の相生座の今があるのも演芸館のおかげです。
経営難に陥っていた権堂の千歳座を買い取り、相生座という
名前にして経営に乗り出したのも、演芸館でした。
そのため、演芸館が株式会社になる創立総会をした日
(1917年12月25日)が、相生座の創立記念日になっているのです。
開館した頃の長野演芸館(山口高治郎氏蔵)