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 この写真は、明治35年(1902)8月の大門町の風景です。
(長野郷土史研究会 小林一郎蔵)
 今の八幡屋磯五郎の前から、南(長野駅方面)を眺めたところ
です。

 中央通り(善光寺表参道)が今の幅に広がったのは大正時代の
ことですから、今よりまだ道幅は狭い状態です。

 左に、「ふぢや平五郎」と書かれた看板のかかった3階建ての
藤屋旅館(今の「THE FUJIYA GOHONJIN」)があります。
この建物は、大正時代に今のもの(登録有形文化財)に建て替え
られました。

 写真の外に「大門町通り」と書かれていることにご注目
ください。当時は、「中央通り」のように大門町から末広町
までを通して呼ぶことは一般的ではありませんでした。
大門町に続く南は、
「上後町(かみごちょう)通り」、
さらにその先は
「下後町(しもごちょう)通り」などと呼ばれていました。

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