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 前回130では、2022年(令和4年)に、城山の水内大社(健御名方富命彦神別神社、県社などとも呼ばれます)で御柱祭が行われる予定であることを紹介しました。

 城山の水内大社(みのちたいしゃ)では、前回は1998年(平成10年)9月6日に御柱祭が行われていて、24年ぶりです。

 これは、その時の御柱祭の様子を描いた大絵馬です。長野美術専門学校の方が、描きました。神社の社殿内にあり、以前秋祭りの際に撮影させていただきました。


ryutaro131.JPG

  たくさんの町が参加していることがわかります。
  私が、写真を調べたところ、こんなにたくさんの町の名前がありました。

 茂菅、桜枝町、西長野、上西之門町、東之門町、狐池、元善町、横沢町、新諏訪町、花咲町、往生地、西之門町、立町、箱清水、伊勢町、新町、

 三輪田町、淀ヶ橋、横山町、相木西、相木東、上宇木、下宇木、返目、本郷、

 岩石町、横町、東町、東後町、問御所町、田町、南千歳町、上千歳町、東鶴賀町、権堂町、西鶴賀町、緑町、居町、七瀬、鶴賀七瀬、

 西町上、西町南、栄町、旭町、長門町、大門上、大門南、諏訪町、西後町、県町、南県町、妻科、新田町、南石堂町、北石堂町、末広町


 私の数えでは56町ありました。
 善光寺三鎮守(さんちんじゅ)と呼ばれる、湯福神社、妻科神社、武井神社の氏子町の多くの名前が確認できる他、茂菅(もすげ)、西長野、新諏訪町といった長野市の明治時代からの最初のエリアに含まれる地区、三輪地区の町の名前も確認できます。

 大門上(だいもん かみ)と大門南(だいもん みなみ)は、この御柱祭の後、2004年に合併して、現在は1つの大門町になっています。ですから、今後、御柱祭が行われても、同じではないのです。
 絵馬は、歴史を伝える貴重な宝です。

 新型コロナウイルスの影響で、2021年春の善光寺御開帳のことも、まだそれどころではない思いの方も多いかもしれません。
 でも、未来への期待は失いたくありません。
 2022年も盛大な長野市街地の御柱祭ができますように、願います。(小林竜太郎)

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門前で暮らすと、様々な神社とのかかわりがあります。

湯福神社、妻科神社、武井神社の3つの神社を、
善光寺三鎮守(ぜんこうじさんちんじゅ)、善光寺三社(ぜんこうじさんしゃ)などと言います。
3つの神社の順番に特に序列はありません。

12月現在、宮司さんを通して確認したところ、
湯福神社は15町、妻科神社は16町、武井神社は19町が氏子(うじこ)になっていました。

2つの神社の氏子になっていて、一部、重複している町もあります。また、氏子としての活動をお休みしている町もあります。
順番に序列はありません。


湯福(ゆぶく)神社 15町 
  
新町(しんまち)、伊勢町(いせまち)、元善町(もとよしちょう)、
箱清水(はこしみず)、深田町(ふかだまち)、御幸町(みゆきちょう)、
東之門町(ひがしのもんちょう)、往生地(おうじょうじ)、狐池(きつねいけ)、
花咲町(はなさきちょう)、桜枝町(さくらえちょう)、上西之門町(かみにしのもんちょう)、
西之門町(にしのもんちょう)、立町(たつまち)、横沢町(よこさわちょう)

※深田町と御幸町は、住所表記(住民票)や区の活動では箱清水に属しています。


妻科(つましな)神社 16町 

妻科(つましな)、大門町(だいもんちょう)、栄町(さかえちょう)、若松町(わかまつちょう)、
西町上(にしまちかみ)、西町南(にしまちみなみ)、長門町(ながとちょう)、
旭町(あさひまち)、諏訪町(すわちょう)、西後町(にしごちょう)、県町(あがたまち)、
南県町(みなみあがたまち)、新田町(しんでんちょう)、北石堂町(きたいしどうちょう)、
南石堂町(みなみいしどうちょう)、末広町(すえひろちょう)

※西町上と西町南は、住所表記(住民票)の上では、西町となっています。


武井(たけい)神社 19町

東町(ひがしまち)、東之門町(ひがしのもんちょう)、伊勢町(いせまち)、横町(よこまち)、
岩石町(がんぜきちょう)、大門町(だいもんちょう)、東後町(ひがしごちょう)、
権堂町(ごんどうちょう)、東鶴賀町(ひがしつるがまち)、西鶴賀町(にしつるがまち)、
柳町(やなぎまち)、田町(たまち)、上千歳町(かみちとせまち)、南千歳町(みなみちとせまち)、
問御所町(といごしょまち)、緑町(みどりちょう)、居町(いまち)、七瀬町(ななせまち)、
鶴賀七瀬(つるがななせ)

※早苗町(さなえちょう)という住所表記の場所は、緑町、東鶴賀町、西鶴賀町の一部に含まれます。
※鶴賀七瀬は、区の活動では七瀬南部(ななせなんぶ)、七瀬中町(ななせなかまち)の2つに分かれています。
※住民票に、七瀬、七瀬南部、七瀬中町は存在せず、大字鶴賀のみの表記です、(居町の一部でも)


また、湯福・妻科・武井神社の多くの氏子町は、同時に、
健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみこと ひこかみわけじんじゃ)の氏子町にもなっています。
城山にあるこの神社は、城山県社(じょうやまけんしゃ)、水内大社(みのちたいしゃ)などとも呼ばれています。

この4つの神社は、いずれも諏訪の神をまつり、持ち回りで、諏訪大社と同じ7年目ごと(6年ごと)に御柱祭をおこないます。

武井神社→湯福神社→水内大社(健御名方富命彦神別神社)→妻科神社→

の順番です。
最近の御柱祭は、2016年に湯福神社で行われました。次回は、2022年に、水内大社(健御名方富命彦神別神社)で行われる予定です。



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 長野市立後町小学校(西後町)は、児童の減少に伴い、平成25年(2013)3月で閉校になりました。

 その敷地は、大部分が、平成30年(2018)4月開学の長野県立大学後町キャンパスになりました。学生寮の「象山寮」には、約250名もの学生が暮らしています。また、南東の一画には、後町ホールと呼ばれる体育館的な建物が、市によって、建設されました。

 その後町ホールの一部屋に、後町小学校同窓会が「同窓会室」を設けました。

 ふだんは、鍵が閉まり、拝見することができません。しかし、今年(2019年)4月7日、長野県議会議員選挙の投票に、後町ホールが使われた日、「同窓会室」は初めて一般に公開されました。

 戸のついた古い下駄箱も、保管されていました。中には、後町小の子どもたちが書いてきた作文を掲載した文集などが収められていました。


 さて、閉校から6年経った今年(2019年)の春、1つの変化がありました。
 後町小の子どもたちは、西部中学校に進学していました。

 後町小がなくなった時、後町小の学区は、城山、加茂、鍋屋田、山王の各小学校の学区に分割されました。でも、旧後町小の学区は、西部中学校の学区として残っていました。

 ところが、今年、旧後町小学校の通学区だった町の内、東後町と問御所町(現在・鍋屋田小学区)の中学校の学区が、地元の要望により、西部中から柳町中に変更されたのです。
 
 その理由は、次のようなものでした。
 東後町と問御所町は「第3地区」と呼ばれ、権堂町や西鶴賀町などと行政区では一緒なのです。権堂や西鶴賀の子と同じ、鍋屋田小に通っています。そこで、東後町や問御所町の子も、権堂や西鶴賀の子と同じ、柳町中に進学したいというものでした。

 西部中の通学区の範囲に残されていた旧後町小の学区の痕跡が、この春、ほとんど気がつかれないままに姿を消したのでした。

 学校がなくなることは、長い時間をかけても、地域の人たちの暮らしに変化をもたらします。これからの未来に、門前周辺の学校の在り方を考える時、考慮しなくてはならないことです。

 私は問御所町に住んでいますので、この変化を知る者として、ここに記しておきます。

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 11月になり季節は、西宮神社の「えびす講」へ。赤い「えびす講」の旗をあちこちで見かけるようになりました。

 善光寺門前界わいというのは、善光寺というお寺だけでなく、人々がなんてたくさんの神社とのかかわりを持っているのだろうと、思います。
 

(1)自分の町(地区)の神社
 たとえば、ナノグラフィカのある西之門町なら、三峰神社(みつみねじんじゃ)です。よしのやさんの駐車場にあります。

(2)広域の神社
 門前界わいの町は、だいたい、湯福神社(ゆぶくじんじゃ)、武井神社(たけいじんじゃ)、妻科神社(つましなじんじゃ)の氏子になっています。ちなみに、この3社を善光寺三社、善光寺三鎮守(さんちんじゅ)と言います。いずれも、諏訪の神をまつっています。
 西之門町なら、湯福神社です。

(3)健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみこと ひこかみわけじんじゃ)
 湯福神社、武井神社、妻科神社のすべての氏子は、同時に、城山にある「健御名方富命彦神別神社」の氏子でもあります。この神社は名前が長いので、水内大社(みのちたいしゃ)、城山県社とも呼ばれます。2022年にはこの神社で、御柱祭が行われます。

(4)弥栄神社(やさかじんじゃ)
 上西之門町にある弥栄神社は、7月に行われる祇園祭の神社です。弥栄神社には、現在18の町が加盟しています。
 西之門町も加盟町の1つですが、その屋台巡行には、かつて西之門町も参加していました。西之門町の屋台が最後に出たのは、昭和38年でした。

(5)西宮神社
 岩石町にある、商売の神「えびす様」をまつる神社です。11月18~20日のえびす講祭、1月19~20日の初えびす祭には、門前界わいはじめ多くの人が、商売をしているかを問わず、お参りに行きます。

 さらに、西之門町にように、戸隠講が続いている地区もあります。戸隠へお参りに行くわけです。
 2月11日には、横沢町の八幡社境内にある青麻社(あおそしゃ)(中風除けの神)のお祭りがあります。ここは、横沢町の地区を越えて、講員を募集し、参拝者を集めています。


 善光寺とひと口に言っても、本堂(無宗派)、天台宗の大勧進、浄土宗の大本願、それぞれの宿坊と関係が深い方々も多くいます。

 また、自分が檀家になっている菩提寺があり、それとは別に、毎月庵主(あんじょ)さん(女性の尼さん)がまわってくる家もあります。

 そうなると、多い人は、いったいいくつのお寺や神社とかかわりを持って暮らしていることでしょうか。
 ここは、善光寺の町ですが、善光寺だけで人々の暮らしは語れません。神社にも、善光寺関係者が参拝に訪れる神社もあります。

 それぞれの負担も大きいでしょうが、ここは、とても豊かな宗教都市と言うことができるでしょう。これは、宗派を問わず人々を受け入れてきた、善光寺らしさにも通じます。仏様も神様も、日常の暮らしの中に、たくさんいらっしゃいます。

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 武井神社(東町)の西側の南北の道を「虎(とら)小路」と言います。
 虎小路を歩いていると、武井神社の周囲の玉垣がよく見えますが、そこには「長野市芸妓家組合」と刻まれた玉垣がたくさんあります。

ryutaro127.JPG

 かつて権堂には、たくさんの芸妓(げいぎ)さんがいました。それだけ、料亭は繁栄していました。
 最近、京都はもちろん、金沢や新潟でも、芸妓さんは再び注目を集めています。もう1人もいなくなってしまった長野市では、その復活はたいへん難しそうです。
 でも、このたくさんの玉垣が、この町の、かつての芸妓の存在の大きさを物語っています。

 『権堂町史』という本には、大勢の芸妓さんの顔写真が載っています。

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小林竜太郎の門前町・昔ものがたり

長野郷土史研究会青年部/光竜堂代表の小林竜太郎さんが、知ると門前生活が面白くなる歴史トピックスをご紹介。
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