長野電鉄(長野電気鉄道)は、大正15年(1926)、
須坂と権堂の間が開通しました。権堂から長野駅までは、
鍋屋田小学校にかかることから、用地の取得に時間がかかり、
その2年後、昭和3年(1928)の開業でした。
ところで、須坂・長野間の鉄道が構想された時、
大門町に至る支線も計画されていました。
「支線は三輪村武井1324番地に於て幹線と分岐し、
長野市大字長野町84番地を終点とし三輪村字武井沖より
長野市岩石町を経て大門町に達するものなり」
(信濃毎日新聞 明治44年5月26日)
この三輪村武井1324番地というのは、現在の
長野大通りの田町西交差点の付近です。途中、「岩石町を
経て」ということは、武井神社の北側や東町を横切る
ように線路を敷くということだったのでしょう。
善光寺大門駅(?)が計画された長野町84番地と
いうのは、現在の「善光寺」交差点角のサンクゼールの
場所です。
もし計画通り、今のサンクゼールの場所が長電の
ターミナル駅になっていたら、今の八幡屋磯五郎も、
藤屋の場所も駅の一部だったかもしれません。
ボンクラのカネマツの貴重な蔵もなかったのかも
しれません。
行事の紹介をさせていただきます。
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「長野の宝・歴史ある映画館を知ろう」
―長野松竹相生座・長野ロキシー見学会―
3月13日(土)
午前9:30 長野松竹相生座・ロキシー前集合
(10:00終了予定)
開催趣旨:
長野松竹相生座・ロキシーは、明治25年(1892)に芝居小屋
「千歳座」として開場し、明治30年(1897)には長野県で最も
早く活動写真を上映しました。大正8年(1919)に、当時
東之門町で営業していた長野演芸館(現、長野映画興行株式会社)
の経営となり、名称を「相生座」に改めました。
昭和48年(1973)には、スクリーンを2つに改装し、
「長野ロキシー」が誕生しました。
この劇場の歴史を知り、これからも劇場に足を運び、劇場を大切に
することが、長野に暮らす者の使命だと思います。
今回は劇場のご好意により、普段は見学のできない映写室や敷地内
の稲荷社などを特別に見学します。
主 催:長野郷土史研究会青年部
参加費:無 料
定員:30名(事前申し込み制)
申し込み:長野郷土史研究会までメールまたは電話で
kyodoshiアットマークjanis.or.jp
TEL 026(224)2673
(個人情報は、今回の行事および、今後の同趣旨の行事のご案内に
のみ使用します)
申し込みは長野郷土史研究会の電話またはメールのみとし、
劇場では受け付けておりません。
お願い:
開催中は、スタッフ、劇場関係者の案内に従ってください。
指定された場所以外は見学をお控えください。
場内のカメラ撮影はご遠慮ください。
事故、盗難等は各自の責任でお願いします。
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千歳座(後の相生座)のできた日、「収容人員450
人の劇場には、ほとんど人が入れなかった」というエピ
ソードが残されています。(『権堂町史』)
この大きな芝居小屋ができた明治25年の少し前、
長野の町に、大きな出来事がありました。
明治21年、長野駅が開業し、長野の町の入口として
長野駅前が発展を始めます。23年には、長野駅と権堂
を結ぶ千歳町の通りが開通しました。
明治24年、善光寺周辺では大火があり、元善町など
で多くの家屋が被害を受けました。
それまでにも、権堂には芝居小屋があった時期が
あったものの、長くは続きませんでした。
千歳座(後の相生座)の成功は、長野の町の中心が、
善光寺のすぐ近くから、しだいに南の方へ移っていこう
としていた町の姿を象徴していたのです。
善光寺周辺が、どうして妻籠宿や海野宿のように重伝建
(重要伝統的建造物群保存地区)になろうとしているの
でしょうか。それはもちろん、古い木造の建造物が密集して
いるからです。
特に注目なのが、宿坊の木造3階建ての建物の多さ。
木造3階建て建築の日本一の密集地とも言われています。
それだけ、全国から多くの泊まり客が訪れた地、それが
善光寺です。
善光寺には39もの宿坊があります。
院とつくのが、25。天台宗。
坊とつくのが、14。浄土宗。
それぞれにご本尊、ご住職がいらっしゃいます。
その院坊の多くには、明治時代の、100年以上前の
建物が残っています。
善光寺だから、もっと古いのかと思われました?
実は、明治24年(1891)に善光寺門前で大火が
あって、その時、主な建物はほとんど焼けてしまいました。
惜しいことです。
以前、県外から来た観光客に、宿坊の建ち並ぶ道を案内
していたら、「ジブリ映画『千と千尋の神隠し』の世界
ですね」と言われました。おそらく、あそこに出て来る
「油屋」のような立体感や、異界に踏み入れた雰囲気を
宿坊に感じたのでしょう。
地元で見慣れた私には気がつかない、ユニークな感想
だと思いました。
この場を借りて、長野郷土史研究会青年部の行事の
お知らせをさせていただきます。
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<第1回 門前歴史 若手サミット>
2月21日(日) 14:00〜16:00
会場:かるかや山西光寺(北石堂町)
内容:善光寺周辺を調査研究している若手リーダーによる
パネルディスカッション。
パネリスト:
梅干野成央さん(信州大学工学部建築学科助教)
清水隆史さん(「長野・門前暮らしのすすめ」プロジェクト)
松橋寿明さん(善光寺の世界遺産登録をすすめる会 副幹事長)
大橋正章さん(歴史の町長野を紡ぐ会)
小林竜太郎(長野郷土史研究会青年部長)
参加費:一般 500円 学生・子ども 無料
事前申し込み不要
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その会では、
「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建=じゅうでんけん)」
に向けた取り組みについても話題に出るはずです。
一足先に予習しましょう。
善光寺周辺には、古い宿坊や仲見世の建物が多くあり、
研究が進められています。元善町の善光寺境内、宿坊や仲見世
一帯を、その「重伝建」にしようという構想があります。
重伝建とは? 例を出すとわかりやすいと思います。
すでに長野県内で、重伝建になっている場所が5か所あります。
町並み保存で有名です。
妻籠宿(南木曽町)
奈良井(塩尻市)
木曽平沢( 〃 )
海野宿(東御市)
青鬼(白馬村)
善光寺門前が県内で6番目に重伝建になろうというのです。
そのための調査が、若い学生・研究者らの力で行われています。(小林)
約130年前に書かれた『善光寺繁昌記』の「演劇」の次には、
「夜劇」という項があります。
・ ・ ・ ・ ・
地元の人は皆仕事があるので、昼間は芝居を見る時間がない。
そこで多くは夜に芝居を興行し、観客が群集する。
興行の前日、芝居小屋の男たちは太鼓を担いでばちで打ち鳴らし
ながら町の中を行く。演ずる劇名が何であるかを巧みに唱え、人々
の関心をかきたてるのである。
(後略)
・ ・ ・ ・ ・
人々の生活にあわせて、夜に芝居が行われていたというのです。
電気もまだない時代、場内はどんな雰囲気だったのでしょうか。
また、歩いて宣伝を行っていたのですね。
まちとお芝居は離れたものでなく、まちの暮らしとともに演劇が
ありました。お芝居の内容や技術が変わっても、そこには大切な
ヒントがあるように思います。(小林)
約130年前の長野の人々(『善光寺繁昌記』挿絵より)