岩石町(がんぜきちょう)には、商売の神「えびすの神」を
まつる西宮(にしのみや)神社があります。この神社が
善光寺の近くにあるということは、善光寺周辺がかつては
長野の商業の中心地だったことを意味しています。
毎年1月19・20日は、「初えびす」です。
今年も大勢の人がえびすの神に1年の商売繁盛などを祈りに
訪れました。
秋のお祭り「えびす講」の11月19・20日と、
この1月19・20日の4日間は、
西宮神社前の道に縁起物などを売る店も出てにぎわいます。
このうち、昔から特に有名なのは、11月19日の夜です。
「宵(よい)えびす」と呼ばれ、市民に親しまれています。
写真は半世紀前、昭和34年(1959)の宵えびすの
にぎわいです。(昭和34年11月20日付 信濃毎日新聞)
(小林)
前回は、昭和24年(1949)に記録されていた銭湯を紹介しました。
しかしそれで、昔あった銭湯のすべてを網羅できているわけではありません。
昭和42年(1967)10月に発行された電話帳には、
こんな名前も載っています。
大峰温泉(箱清水)
雁月の湯(狐池)
千歳湯(問御所)
城東温泉(三輪横山)
電話帳に載っていた大峰温泉の広告
(電話番号の下4ケタを当方で、ぼかしました。
当時は市内局番は1ケタだったのですね)
それぞれの銭湯がいつできていつなくなったのか、
それを調べて記録した本はまだありません。(小林)
寒い毎日が続いています。
今回は温かい話題を書きましょう。
善光寺門前の銭湯といえば、今では
市立図書館近くの「亀の湯」(諏訪町)と
もんぜんぷら座近くの「アルプス温泉」(新田町)だけに
なってしまいました。
しかし、昭和24年(1949)4月に長野商工振興会が発行した
『長野市とその周辺』という本には、たくさんの銭湯が載っています。
以下、『長野市とその周辺』の長野市商工名鑑「理髪店 浴場 クリーニング業」に
掲載の中から、善光寺に比較的近い所をあげてみます。
アルプスの湯(新田町)・・・今のアルプス温泉です。
伊香保の湯(箱清水)
稲荷の湯(狐池町)
大口の湯(南県町)・・・大国の湯の誤りか?
亀の湯(諏訪町)・・・今も営業。
亀の湯(桜枝町)・・・諏訪町のと同じ名前ですね。
黄金の湯(南千歳町)
塩の湯(新諏訪町)
田毎の湯(田町)
龍の湯(立町)
玉の湯(権堂町)
鶴の湯(東之門町)
富の湯(西長野町)
富貴の湯(三輪田町)
保命湯(東町)
みすずの湯(淀ヶ橋町)
柳の湯(西町)
ラヂウムの湯(石堂町)
行ったことはなくても、懐かしさを感じるネーミングです。 (小林)
前回は、「善光寺駅」が甲府市にあるということを紹介しました。
ところがかつて、長野市には「信濃善光寺」という駅がありました。
国鉄でも、長野電鉄でもない鉄道、「善光寺白馬電鉄」の駅でした。
善光寺白馬電鉄は、
略して「善白鉄道(ぜんぱくてつどう)」と呼ばれていた線で、
昭和11年(1936)、南長野駅から善光寺温泉駅までが開業しました。
善光寺温泉は、善光寺の西約5キロメートルの裾花川沿いにあった温泉です。
では、「信濃善光寺駅」はどこにあったのでしょう。
あった場所は、なんと新諏訪町でした。諏訪町ではありません。
場所は、今の長野商業高校や西部中学校よりも西側、
裾花台遊園地の付近にありました。
でもなぜ、市民にとって不思議な場所に「信濃善光寺」という駅が
できたのでしょう。
私が考える理由はこうです。
善光寺白馬電鉄は、その名の通り、善光寺のある長野市から
白馬を目指して建設されました。しかもその先、長野市と北陸とを
最短距離で結ぼうという夢もありました。
この信濃善光寺駅は、いずれ白馬や、さらには北陸地方の人たちに、
善光寺参りをするのに、善光寺に最も近い駅として利用してもらおう
としたのだと思います。
そうしたら、善光寺の西の入口、西長野や桜枝町あたりは、
もっと栄えていたのかもしれません。
「善白鉄道」は白馬に達することなく、わずか7年ほどで営業を休止し、
戦後廃止されました。
現在、駅の跡地は住宅地となって、その面影は残されていません。(小林)