約130年前に書かれた『善光寺繁昌記』の「演劇」の次には、
「夜劇」という項があります。

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 地元の人は皆仕事があるので、昼間は芝居を見る時間がない。
そこで多くは夜に芝居を興行し、観客が群集する。
 興行の前日、芝居小屋の男たちは太鼓を担いでばちで打ち鳴らし
ながら町の中を行く。演ずる劇名が何であるかを巧みに唱え、人々
の関心をかきたてるのである。
(後略)

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 人々の生活にあわせて、夜に芝居が行われていたというのです。
電気もまだない時代、場内はどんな雰囲気だったのでしょうか。
また、歩いて宣伝を行っていたのですね。

 まちとお芝居は離れたものでなく、まちの暮らしとともに演劇が
ありました。お芝居の内容や技術が変わっても、そこには大切な
ヒントがあるように思います。(小林)

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約130年前の長野の人々(『善光寺繁昌記』挿絵より)

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