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 2月5日、横沢町にある「嶺雲庵(れいうんあん)」の住職、長田要山
(おさだようざん)さんが亡くなられました。享年86歳でした。

 5月4日には、新町にある「地蔵庵」の住職、北條準芳(ほうじょう
じゅんぽう)さんが亡くなられました。享年78歳でした。

 いずれの尼寺からも、ご住職がいらっしゃらなくなりました。
 長野郷土史研究会でもお世話になってきた方々であり、とても残念な
思いがします。

 善光寺周辺では、江戸時代の昔から、女性の尼さんが守っているお寺が
いくつもあります。これは、他の地域にはない、この町の特徴です。
一般には庵主(あんじゅ)さんですが、この町では、「あんじょ」さんと
呼ばれ、親しまれています。各家庭をまわって、お経をあげて歩かれて
いますので、よく町でお見かけすることもあります。けれども近年、
その数は少なくなってきました。

 なぜ、善光寺のある町で、女性なのでしょうか。

 善光寺の住職である大本願のお上人さまが女性であり、
善光寺が女性に信仰を集める寺であることと関係がありそうです。
 また、近くの吉田に曹洞宗の尼さんを養成する学校があったこと
とも関係がありそうです。

 そして、「あんじょ」さんにお世話になってきた町の人たちの
信仰心も大事であったわけです。

 私の祖父母の家にも、かつて岩石町の梅林庵(ばいりんあん)
(今は、もうありません)の「あんじょ」さんが毎月いらっしゃって
いました。子どもの私にとって、髪を剃っている女性はとても存在感が
あって怖くて、なるべく会わないように逃げていたのを思い出します。
しっかりお会いしていなかったことが、とても残念です。

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 昭和32年(1957)以来、半世紀に渡って運転されてきた
長野電鉄の2000系車両が、2月25日で定期運用を終えます。
今年夏まではしばらく貸し切り用の車両として残る予定ですが、
もう日常的には乗れなくなります。

 2000系は、長電が独自に新車としてつくった車両で、
特急に使われ、「長野育ち」の長電の顔というべき存在でした。
現在のそれ以外の車両は、すべて東京で走っていたものを譲り
受けた中古の車両です。

 現在は長野駅から善光寺下駅の先までが長野大通りの地下に
なってしまいましたが、長電は、昭和56年(1981)
2月28日まではすべて地上を走っていました。来月3月1日で
長野駅から善光寺下駅の先まで地下鉄になって、ちょうど30周年
です。
 地上から地下への変化を見届けてきた最後の車両が地下鉄化
30周年のタイミングで消えてしまうのは、寂しいです。


mukashi035.jpg
写真の車両(D編成)は、昭和39年製造。つまり、最初の
17年ほどは地上を走っていた車両。先日、長野駅にて撮影。

 おすすめの本:『写真でよみがえる長野電鉄地上線』
        『長野電鉄 マルーン時代』

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 古書店で、大正時代に五明館扇屋旅館(大門町)が発行した
「善光寺案内」という地図を購入しました。その地図の一部が
下の写真です。

mukashi034.jpg


 この地図の右端、善光寺境内北東(現在の城山公園西交差点の
付近)に「三幸座(みゆきざ)」という劇場が描かれています。

 三幸座のあゆみをまとめてみましょう。

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<三幸座略年表>

明治19年頃  善光寺境内東(城山公園交差点付近)にできる
      (それまで今の善光寺事務局の場所にあった
      「常磐井座(ときわいざ)」が移転し、三幸座となる)

明治41年  「一府十県連合共進会」の開催に伴い、善光寺境内北東
      (この地図に描かれた場所)に移転

大正4年7月2日~ 芸術座公演で、松井須磨子が舞台に立つ

大正時代後半 三幸座から「長野劇場」に名称変更
       映画館としても営業

昭和8年   長野劇場廃業

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 三幸座がこの地図の場所で営業していたのは、明治41年からわずか
10年ほどにすぎなかったことになります。その意味で、この地図は
とても珍しいものです。

 しかし、善光寺に隣接する劇場が、今に続いていてほしかったですね。

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  今日11月18日から、商売の神様・西宮神社で
「えびす講祭」が始まりました。

 えびす講祭で、ぜひ多くの方に観ていただきたいのが、
社殿で行われる「江戸里神楽(えどさとかぐら)」です。
18、19、20日とも、午前11時半と午後3時から
で、どなたにも公開されます。

 毎年、江戸里神楽を奉納するのは、わざわざ東京の
荒川区日暮里からお越しの松本源之助社中です。
この神楽は、1995年には国の重要無形民俗文化財に
指定されています。


mukashi033.jpg
 左が、松本源之助氏(大正13年生まれ)。数々の賞を受賞され、
 東京都の名誉都民です


 お獅子、打ち出の小槌を鳴らす大黒様、"ひょっとこ"が
登場する20分ほどの公演です。体の動きが見事です。
 最後は見物人も加わって、一同で三本締めをします。
「よー、パンパンパン、パンパンパン、パンパンパン、パン。・・・」
 とてもおめでたくて、私には、毎年これを観ないと
冬が来ないという行事になっています。

 西宮神社の丸山宮司によると、東京の江戸里神楽が
長野の西宮神社で行われるようになったのは、今の松本
源之助氏(大正13年生まれ)の先々代の時で、昭和の
初めからといいます。

 ということは、江戸から続く東京の伝統芸が、この善光寺
門前で、かれこれ80年も続いていることになります。
 えびす様は関西から来た神様。一方、神楽は江戸東京
から。ここ長野で、東西の文化が見事に融合しています。

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 このたび歴史の町長野を紡ぐ会では、
観光マップ「日本一の門前町・長野 〜善光寺表参道まち歩き〜」を
製作しました。

mukashi032.jpg



 長野を「日本一」にした根拠は、岩波書店の広辞苑で
「門前町」と引くと、「善光寺における長野のような例。」
と書いてあることによります。それに、これからその名に
恥じない町でいられるよう頑張っていきましょうという
決意も入っています。

 長野と出ているのは、広辞苑だけではありません。
 手元のいくつかの辞書の「門前町」の項を調べてみましょう。


 「善光寺門前の長野など。」(旺文社国語辞典)
 「善光寺のある長野市、伊勢神宮のある伊勢市など)(三省堂新明解国語辞典)
 「善光寺の長野、伊勢神宮の宇治山田など。」(小学館大辞泉)
 「善光寺のある長野市、新勝寺のある成田市など。」(小学館日本国語大辞典)


 伊勢神宮や成田山新勝寺が出ているものもありますが、
善光寺は必ず載っています。

 なぜでしょうか。私は、長野市が県庁所在地になった町の
歴史が大きいと考えています。他の町との違いはそこです。
今後、辞書に載った経緯は、ぜひ調べていきたい課題です。

 浅草は確かに日本一にぎわっている門前町でしょうが、
広い東京の一部だととらえられてしまっているのかもしれません。

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小林竜太郎の門前町・昔ものがたり

長野郷土史研究会青年部/光竜堂代表の小林竜太郎さんが、知ると門前生活が面白くなる歴史トピックスをご紹介。
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