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 12月8日、善光寺から南に1kmほどの表参道沿いの町・問御所の小路にある長屋に引っ越してきました。百年以上前に造られたという土蔵づくりの建物です。
 リフォームされているので昔ながらの面影は少ないのですが、2階の天井には長い見事な梁(はり)が残されています。

 我が家のスペースは、もともとは、魚屋だったそうです。まちの人々の暮らしを支えてきた魚屋さん。この建物にも、たくさんの物語があるのでしょう。

 ご近所には、大正時代創業のお茶屋さんや自転車屋さんがあります。

 これからは、身近な暮らしの視点から、門前町の歴史を探っていけるのではないかと楽しみです。

 今年も門前の多くの皆様にお世話になり、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

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 門前の周辺にかつてあった温泉(鉱泉)の遺構は、現在では
あまり残っていません。

 塩沢鉱泉の建物の基礎部分の跡は、現在、ある住宅の敷地内に
あるのですが、個人のお宅ですので、ご紹介するのは遠慮したいと
思います。

 狐池の諏訪神社には、その名も、狐池と呼ばれる小さな池が
あります。ここは「善光寺七池」の1つにも数えられています。
 その池を見ると、なんとなく水が白色に濁っていて、ただの
水ではありません。この辺りに湧き出す水が独特の成分を含んで
いて、かつて狐池鉱泉として利用されていたことを想像させて
くれるのです。

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諏訪神社境内にある狐池

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 長野郷土史研究会会員の古畑和男さんが本を出版されました。
『善光寺門前町と防火水路  世界に類を見ない「畳差し」』です。

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 安茂里在住の古畑さんは、もともと西之門町のご出身で、今年
80歳。10年ほど前から、生まれ育った門前町の防火水路の研究
をしてこられました。

 この門前町は、たび重なる火災から、いかに善光寺を守るかが
課題でした。そこで町中にはりめぐらされたのが(特に明治24年の
大火後)、この本のテーマである防火水路でした。

 また、緊急時には、畳(たたみ)を防火水路に挟むことで、水をせき
止め、水をくみ出して消火するという行為が行われました。建設部門の
技術者として働いてこられた古畑さんは、この「畳差し」を、世界に
類を見ない知恵と技だと指摘されています。

 古くからの防火水路には、現在も残っている所があります。
その水源である善光寺の北側の池も、かろうじて残されています。
でもそれが、文化遺産としては、まだまだ意識されていないのは
残念です。
 
 古畑さん、門前町が未来に向けて何を伝えたらいいのかの指針と
なる貴重なご研究をまとめていただき、ありがとうございました。

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 門前の周辺には、かつてたくさんの温泉がありました。

 湯谷、塩沢、焼野、山の神、伊香保、往生寺、狐池、裾花、竜宮淵、茂菅

 塩沢、狐池、茂菅は、それぞれ最盛期は2軒もありました。

 実際には温度が低いので、わき出す冷泉を沸かしていて、
「鉱泉」と呼ばれるものでした。

 下の地図は、2006年発行の長野郷土史研究会の機関誌
『長野』249号に掲載したもので、私がまとめました。(デザイン:近藤弓子氏)

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 門前周辺の温泉は、江戸時代の終わり頃から盛んになりましたが、
現在まで江戸時代からずっと続くのは、箱清水の「山の神温泉」のみ
です。ただ、山の神温泉は、宿泊客のみが入浴できます。

 これらの温泉を最も利用してきたのは、善光寺の参拝者というより、
門前町の人たちです。ぶらりと山手の温泉を楽しみに行くのは、
かつて門前町に根付いた文化だったわけです。

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 芋井地区の名所である隠滝(かくれだき)に行ってきました。
 善光寺からは直線距離にして北西に4.5km、車で20分
足らずの所にあります。あまり知られていませんが、高低差
30メートル程もある見事な滝です。

mukashi037-1.jpg

 解説 長野の大地みどころ100選(リンク)
 

 この隠滝の脇にはお堂があって、身の丈が4.55メートル
もある巨大な不動尊がまつられています。
 つくられたのは、明治35年(1902)。善光寺の南、
長野市北石堂町にいた塚田専治という仏師によってでした。
塚田氏といえば、現在も、塚田神仏具店が善光寺表参道に
あります。

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 長野市は、現在いくつもの地区に分かれ、中心の市街地は
第1〜第5、その周りには芋井、芹田、三輪などの地区が
あります。
 ところが、善光寺の始まりを伝える「善光寺縁起」によると
善光寺のご本尊は「水内郡芋井郷(いもいごう)」にまつられたと
なっています。芋井というと、現在は門前と関係がないようです
が、実は善光寺のある所も古代は、芋井と呼ばれていたのです。

 明治22年に芋井村という村ができ、それが現在の長野市
芋井地区になっています。しかし、これは芋井郷の一部に
すぎません。

 芋井郷とはどこでしょうか? はっきりとしませんが、
善光寺や善光寺の西山中(今の芋井地区)だけでなく、
三輪や中御所、安茂里あたりも含む広い地域だったとする記述も
あります。上高田の国道18号線近くには、芋井神社という神社
(明治になって、古代の芋井にあやかって名前をつけた)まで
あります。
 
 地名とは不思議なもので、今の感覚では、善光寺が芋井にある
はずがないと思ってしまいます。でも、もともと、平野部の門前も
その西の現在の芋井もつながっている地域です。

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小林竜太郎の門前町・昔ものがたり

長野郷土史研究会青年部/光竜堂代表の小林竜太郎さんが、知ると門前生活が面白くなる歴史トピックスをご紹介。
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