7月15日(日)、「ながの祇園祭 御祭礼屋台巡行(ごさいれい やたいじゅんこう)」が行われます。まちのあちこちでポスターを見かけるようになりました。(こんなふうに、民家の窓にも)
長野の祇園祭は、上西之門町にある弥栄(やさか)神社の祭りで、江戸時代はもちろん、戦後しばらくも、善光寺門前町で最大の年中行事だったと言えます。この行事は、参加する町が広範囲で、私の呼ぶ「南の門前」にまで及んでいることが特徴です。
ここ最近では、7年目ごとの善光寺御開帳の期間中に屋台巡行が行われています。でも、本当の意味だと、屋台巡行は夏の弥栄(やさか)神社の祭りの一部ですので、春の御開帳中ではなくて、毎年7月なわけです。
また、今回の特徴は、栗田の子が、白馬に乗って先頭を行く「御先乗り(おさきのり)」を務めることです。もともとは、参加する町のエリアに居住する子どもが務めるのが慣例だったわけですから、時代に合わせた改革と言えましょう。
この祭りには、夏の疫病の流行を追い払う意味があります。
今年から毎年の開催をめざすということですから、大いに期待したいです。
長野市民がみんな参加したい祭りへ、また、多くの方が遠くから見に来たい祭りへ、発展させたいと思います。
リンク:公式ブログ http://gosairei.naganoblog.jp/
なお、屋台巡行にばかり目が行きがちですが、祭りは、7月7日の天王下ろし(てんのうおろし)で幕を開けます。こちらは屋台巡行が行われなくなっても、毎年必ず行われてきました。もちろん、今年も行われます。
リンク:昨年(2011年)の天王下ろしについて 小林玲子の善光寺表参道日記
先日ですが、伊勢町にお住まいの税理士、中島弘人さんが84歳でお亡くなりになりました。中島さんは長野郷土史研究会の長い会員でいらっしゃいました。
4、5年前になりますが、中島さんから、伊勢町の区史のようなものをつくりたいと考えているとご相談を受け、何度か伊勢町のお宅にうかがったことがあります。その時も、今のように暑い夏の時期でした。しかし、そのまま進展せずに時が過ぎてしまったことを心苦しく思っています。
伊勢町で育った中島さんからは、地元の言い伝えとして、生まれる前の昔(いつ頃までかわかりませんが)、東之門町の伊勢社に至る道が、現在の東側(以前に銭湯「鶴の湯」のあった脇)でなく、南側にもあったというお話を聞かせていただきました。
左上が伊勢社。伊勢町の通り(笠原十兵衛薬局付近)から、右の湯福川を橋で渡って、中央にある倉庫の付近を通って、伊勢社に登る道があったということです。
もっと私は、たくさんのことをお聞きしておくべきだったと思います。
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最近、受け継ぐということをよく考えます。
世代を超えて、地域を受け継ぐということ・・・。
受け継がれず、消えていってしまうものが、何と多いことでしょう。
若い人は、形式的に土地や建物を受け継ぐことはできます。
しかし、そこに世代を超えた何か(物であれ、記憶であれ、生活様式であれ)が伝わってこその門前ではないかと思うのです。
これは誰か特定の世代のせいにはしたくありません。
年長者の方は、若い人に伝える方法がわからなかったり、若い人はまだ年長者に関心がなかったり、まさか新しく来たばかりの自分が地域を受け継いでいく一員だとは感じなかったり、・・・そうした中で日々を過ごしています。
これから人口が減っていくとされる社会にあって、高齢者の数や子どもの数、働き手など人口の数値がよく問題になります。しかし、たとえ門前の人口が何人増えようが、受け継がれるものがなければ、そこは門前ではなくなってしまいます。逆に、人口が極端に減ったとしても、やはり、門前らしさを受け継ぐことはできるのではないかと思うのです。
上の世代と、新しい世代を上手につないでいくことが、ここ門前でできたらいいと考えています。そして、まだ新しく来たばかりと思っている人も、もっと新しく来た人やこれから来る人に何かを受け継いでいく当事者として活躍できる、風通しのよい門前にしたいと思います。
私にとっての「ご近所」は、だいたい徒歩5分で行ける範囲です。
昨年(2011年)12月に、長野駅と善光寺の間にある問御所町に引っ越してきて半年になりますが、今さらながら、その前後で、「ご近所」にはいくつも、若い世代が新しい場所を構えていたことに気がつきます。
チャンネルブックス(ch.books)(南県町) 2011年7月オープン。2012年春からはカフェも営業。
オープンアトリエ「風の公園」(上千歳町) 2012年1月オープン
YADOKARI in ながのHOUSE(北石堂町) 2012年1月オープン
かるかや山西光寺の横に入口がある「YADOKARI in ながのHOUSE」。長野市では、3軒目のゲストハウス。
それぞれは、どんなポジションで運営されているのでしょうか。
チャンネルブックスが発行するフリーペーパー「チャンネル vol.6」には、門前カフェ案内のマップが載っていて、ここには北は「カフェ トケトケ」(横沢町)から、南はチャンネルブックスまでが載っています。
風の公園が発行した「古き良き未来地図」 (1冊100円)は、北は「Roger(ロジェ)」(上西之門町)から、南は風の公園、チャンネルブックス付近までがカバーされています。
また、YADOKARI in ながのHOUSEのサイトでは、「長野・善光寺界隈で一番小さいゲストハウス」と紹介しています。
こうしてみると、それぞれが、善光寺門前というエリアのつながりの意識で動き、活動をしていることがわかります。これは、とても興味深い現象だと思うのです。
ご近所を「南の門前」と私は名付けてみました。
ご近所で最新鋭の施設は、TOiGO(トイーゴ)なのに、TOiGOの周辺であることはアイデンティティーにはなっていなくて、「門前」があって、その南に位置する自分たちなわけです。かつてデパートや大型店、金融機関が集まってきたこの付近は、独自のブランドを築いたかに見えました。でもそのインパクトは、善光寺にはかなわなかった・・・。
長野のまちづくりにとって、「善光寺」「門前」というキーワードがいかに大事か、古いものが大事か、まちづくりにかかわる方々に考えていただきたいと思います。
善光寺から南に1kmほどの表参道沿いの町・問御所に引っ越して半年が経ちました。
ご近所から物をいただいたり、区費を納めたり、・・・。おかげさまで、だんだんと住民らしくなってきました。
また、嬉しかったのは、近所にある「しまんりょ」の名で親しまれている栽松院(曹洞宗のお寺)で、6月10日、コンサートがあったことです。
本堂内はいっぱいで、境内では子どもたちが遊びまわっていたのも、ほほえましい光景でした。
つれづれ精進茶和日記
私の近所になると、開発が進みすぎて、リノベーションのしやすい物件も限りがあります。善光寺の近くとは、商店街も別々で、住民自治協議会なども別々になってしまいます。 でも、まちは一つにつながっていて、確かにここには、面としての門前町がずっとずっと、はるかかなたの昔からあることが感じられます。
それは、お寺が今も生き続けているからです。
善光寺の周辺には、とりわけ、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗のお寺が集まっています。
かるかや山西光寺(北石堂町)は浄土宗で、「絵解きの寺」です。いつでも、竹澤住職夫人と副住職夫人が、絵伝を用いてお寺のいわれのお話「絵解き」をしてくださるお寺です。善光寺七福神めぐりも、ここから始められます。
十念寺(西後町)も浄土宗です。袖山住職は、英文学者で、愛知県にある仏教系の東海学園大学の学長として、ご活躍されています。
東海学園大学学長メッセージ
往生院(権堂町)も浄土宗です。本坊は、花咲町にあります。金子住職は、パドマ幼稚園(若松町)を運営されています。また、小説も出版されています。住職の奥様はヴァイオリニストで、花咲町のお寺でコンサートも開かれています。
明行寺(権堂町)は、浄土真宗で、真宗大谷派です。柴田住職は、全国の真宗大谷派の宗議会議長をされています。副住職はブログを書かれています。
真宗大谷派明行寺 今月の法話とお知らせ
西方寺(西町)は、浄土宗です。金子住職は、往生院の住職のお兄様で、日本におけるチベット仏教研究の第一人者です。
他にも、いくつもお寺があります。それぞれで、地域に開かれた行事も行われています。
仏教は、遠い存在ではなく、近い所にある。お寺が社会の中で役割を果たしていることが、善光寺門前町の誇りであり、これからも市民が一緒になって大切に育てていくべき文化だと思います。
今年もゴールデンウィーク、門前では「ながの花フェスタ 善光寺花回廊」が行われ、多くの人が訪れました。
再び静かになった町ですが、この町は花の町だと実感する光景に出会います。
栽松院(問御所町)の「子育地蔵尊」。赤いお地蔵さまや六地蔵に、花がお供えされています。8月23日には地蔵盆が行われ、子どもたちが集まります。
かるかや山西光寺(北石堂町)の「へび塚(大蛇の墓)」。花の他、卵や缶ビールがお供えされている日もあり、信仰を集めています。
藤棚のある「諏訪社」(上千歳町)。昔から「藤の森」と呼ばれる藤の名所です。
いつからはわかりませんが、百年以上に渡ってこの町に暮らす人が花を大切にしてきたことに、最近では気がつく人も少なくなりました。善光寺花回廊が、それ気がつく機会にできたらいいと思います。