善光寺門前界隈の子どもたちが通う学校には、城山小学校、加茂小学校、後町小学校(3月で閉校)、鍋屋田小学校、山王小学校などがあります。
これらの学校の名前を見ていると、いかにも古風です。しかも、名づけ方に共通点があることに私は気がつきました。
善光寺門前の小学校は、学校のある場所の、江戸時代以来の小さな古い地名・スポットを学校名にしているのです。
城山は善光寺の東側の山ですし、加茂は加茂神社。後町は西後町と東後町とがあるものの比較的狭い範囲で、鍋屋田や山王となると、小字(こあざ)です。加茂北、後町町並などの小字もあります。
それに対して、戦後にできた周辺の、南部小学校(元南部中学校)、裾花小学校は、地域を抽象的に広くとらえて、名づけられています。
学校名のつけ方に、どれが正しいということはありません。ただ、南部小学校出身の私としては、長野市が拡大し、どこの南部かさっぱり不明になってしまった以上、気持ちの中で学校が地域と結びつかないのです。だから、古い地名の学校には憧れがあります。
学校名は、歴史的な地名を今に伝えて続けている財産です。どうか将来、統合されて、「長野中央小学校」のような過去とつながりのない名前にならないように願っています。
<追記 1.17>鍋屋田小学校は、明治時代、当時名づけられたばかりの千歳町、あるいは鶴賀という地名から「千歳小学校」や「鶴賀小学校」とはしなかったことからも、歴史的な地名を重視したことがわかります。
我が家は、問御所町の清水小路沿いにあります。
清水小路は、トイーゴパーキングの南側を通る道で、現在では昭和通りの戸谷茶店脇から千歳町通りの中央薬局脇までを結ぶ通りになっていますが、かつては、善光寺表参道と直接つながっていました。江戸時代には、七瀬村と善光寺門前町を行き来する道として利用されてきました。
周辺をビルに囲まれた現在の清水小路の途中で暮らしているのは、我が家を含め5世帯、約10人ほどでしかありませんが、とても気持ちのよい人たちが暮らしている、実にいい通りです。
我が家の2階の窓から見ると、いかにも新しい通りに見えてしまいますが、清水小路の途中にはまだ古いものが3つあります。庚申塔(こうしんとう)という石造文化財、山田種苗店の土蔵、そして水庫(みずくら)長屋と呼ばれ築100年以上経つ土蔵造りの我が家です。
今年の元旦は、生後2か月の我が子とともに、「初詣で」のつもりで、庚申塔に行きました。
この庚申塔には、万延元年(1860)と刻まれています。この年は、東町の武井神社で御柱祭が盛大に行われた年です。当時この小路に暮らしていた人も、御柱祭に参加したことでしょう。庚申塔は、場所は移転していますが、それからもう150年も道行く人を見守り続けています。
庚申塔は、本来お参りするものではありませんが、清水小路の庚申塔はお地蔵様のような存在です。袋に入ったみかん、お餅、十円玉や五円玉、一円玉のお賽銭がお供えしてありました。
それから数日経っても、誰もお賽銭に手をつけてはいませんでした。道行く人たちがちゃんと節度を保っている。何と素晴らしい文化でしょうか! 清水小路は都市の中にあって、昔のよき面影をこれからもずっと伝え続けてほしい道です。
明けましておめでとうございます。
今年も新田町の「アルプス温泉」は、例年通り今日(3日)から営業を始めました。
アルプス温泉は、創業は江戸末期の1860年頃と伝えられています(参照:『長野銀座いま・むかし』2000年発行)。最初は、「忠兵衛のお湯」と呼ばれ、昭和の初めには「アルプスの湯」に名称を変更しました。戦後、アルプス温泉となり、昭和35年には休憩室付きで宴会もできる長野初の「ヘルスセンター」となって、親しまれてきました。昭和33年の地図には、すでにアルプス温泉と載っています。
以前のご主人の北沢眞佐志さんは、長野市議会議長を2回も務め、昭和41年には長野市と篠ノ井市など周辺市町村の大合併に尽力。全国の浴場組合の役員としても活躍されていました。
現在の建物は昭和57年(1982)に建て替えられたもので、南側にマンション「アルプスハイツ」が併設されています。南側にまわってみると、お地蔵さまが大事におまつりされています。
それにしても、銭湯にアルプスとは、かなりしゃれたネーミングです。銭湯なのに温泉というのも不思議です。
私は、善光寺の近くに大きな温泉地がなかったことから、温泉というネーミングでも違和感がなかったのだと推測しています。松本市でも上田市でも、市の中心部には温泉という名称の銭湯はありません。松本市といえば浅間温泉、上田市といえば別所温泉など本物の温泉地が近くにありますので、温泉という名の銭湯は紛らわしいので、できなかったのでしょう。
アルプスも、有名温泉地も、昔の善光寺界隈の人は簡単には行けなかったからこそ、憧れを誘う名称だったはずです。
これまで、かつてあった銭湯の跡地を紹介してきましたが、現役で営業している所も紹介しましょう。
まずは、諏訪町の「亀の湯」です。
「亀の湯」は、大正7年(1918)の創業といいます(参照:川崎史郎氏の10月6日「週刊長野」記事)。東之門町にあった「鶴の湯」が2007年に閉じてからは、善光寺から一番近い銭湯になりました。
かつて桜枝町にも同名の「亀の湯」という銭湯がありました。そちらは明治35年(1902)頃からあったそうですから、それよりは遅れてできたものと思われます。
この亀の湯は、諏訪町とはいえ、「官庁通り」の北側にあります。広い官庁通りが境ではないのは、この亀の湯の北側の道の下を「鐘鋳(かない)川」が流れていて、その川を境に、北側が長門町、南側が諏訪町になっているからです。
このように銭湯は、歴史の古い主要な川に接していることがよくあります。実際に東之門町の「鶴の湯」は湯福川に沿っていましたし、次回紹介したい「アルプス温泉」は南八幡川沿いにあります。銭湯にとって排水は大事だったため、川沿いは好立地だったのでしょう。
「長野市立後町小学校」は、来年3月で閉校します。
突然、私事ではありますが、10月30日に、子ども(第一子)が誕生しました。本来ならば、わが子は将来、この後町小学校に通うことになったはずです。残念ながら、後町小学校は閉校します。でも、この地域で子どもが育ちやすい環境は、ずっとこれからも続いてほしいものです。
明治9年に現在の城山小学校の場所にあった長野学校から分かれた「朝陽(ちょうよう)学校」が、後町小学校の前身です。ちなみに、朝陽というのはこの地域の地名とは関係なく、新しくつけられた名称です。(近くには「朝陽館荻原書店」がありますが、朝陽学校に近いことから名づけられたのでしょう。)
伝統ある学校ですが、児童数の減少によって、閉校することになりました。
閉校式典があった10月27日、同時に学校開放が行われましたので、地域住民として行ってきました。
昭和28年建築の校舎は天井が高く、廊下も広く、とてもしっかりしたつくりです。表示してある廊下の文字も今となってはレトロで、大切にされてきたと感じる建物です。ぜひ、これからも保存していきたいものです。(まだ使用中の学校のため、校舎内の写真は遠慮してほしいとのことでした)