善光寺の古いものというと、建物や仏像に目が行きますが、
足元の参道に敷き詰められた「敷石」も大事な遺産です。
いまの本堂の完成(1707年)の数年後、参道から北西の
方角に見える郷路山(ごうろやま)の石からつくられました。
1997年には長野市の文化財に指定されました。
本堂前(山門から北)の敷石は、西長野(注:北石堂では
ない)にある西光寺の単求(せんぐ)という人が、1713年
に寄進したものです。
続いて、善光寺境内入口(善光寺交差点)から山門までの
敷石は、桜枝町に暮らしていた大竹屋平兵衛(おおたけや
へいべい)という人が寄進し、1714年に完成しました。
その善光寺境内入口から山門までの敷石の枚数は7,777枚
あると言われています。
平兵衛は、江戸で石屋をしていた人でしたが、それにしても
なぜわざわざ善光寺に敷石を寄進したのでしょう。それは、
こんなふうに伝えられています。
平兵衛は我が子を盗賊と間違えて殺してしまったのです。
そこで店をたたみ、夫婦で巡礼の旅に出て、たどりついたのが、
善光寺でした。桜小路(いまの桜枝町)に住み、善光寺にお参り
していました。しかし、参道がぬかるんでいたため、何とか
できないか考え、石屋としての知識を生かし、平兵衛は大金を
出して、敷石を善光寺に寄進したのでした。
以来、約300年がたちますが、いったいどれだけ多くの
人がこの石の上を歩いたことでしょう。この敷石のおかげで
古い建物も映えています。
長野市では、参道に平行する宿坊が立ち並ぶ道も、これから
約5年をかけて石畳風の道にすることにしています。単に見た目
として景観を古風にするのでなくて、300年前の人の思いを
振り返りながら進めていくまちづくりが大切ではないでしょうか。
(小林)