いよいよ6、7日、「柔らかいモザイクの街」が上演されます。
そこで今回は、演劇についてです。
明治10年(1877)当時の善光寺界わいの町や人々の
様子が書かれた『善光寺繁昌記(はんじょうき)』という本が
あります。書いたのは、長野県庁に勤めていた長尾無墨
(ながお・むぼく)という人です。
漢文で書かれていますが、2年前、小林一郎(長野郷土史
研究会会長)による現代語訳が出版されました。
その中から、「演劇」という項の最初の部分を引用します。
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都会の芝居が地方に出張する。そこで地方に「田舎劇場」が
設けられるが、これには常設のものと、臨時のものとがある。
芝居小屋が開かれるのは、多くは寺社の境内である。善光寺は
境内が広く、人々も多く集まるので、毎年数回芝居が上演される。
舞台・桟敷・客席などは幕を張り、大急ぎで工人を集めて劇場を
仮設する。
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まだ映画もない時代、善光寺境内につくられた芝居小屋で
行われた演劇は大人気を博していました。(小林)