善光寺門前町の西之門町、東之門町、西町、東町は、1つの道を中心に、道の両脇に店や家が立ち並ぶ構造をしています。たとえば、ナノグラフィカの向かいには、三河屋洋傘店があって、どちらも同じ西之門町です。
 
 当たり前の話をしているようですが、実はこのことは、門前町でも特に古くからある町の痕跡ではないかということに気がつきました。

 中央通り(善光寺表参道)を例に見ていくと、大門町は道の両側が大門町です。大門町は中世から栄えていたと考えられる古い町です。その南になると、後町は東後町と西後町に分かれてはいますが、どうやら昔は道を挟んで1つの後町だった時代があったのではないかと推測できます。
 ところが、問御所町になると、道の東側だけになってしまいます。新田町は西側だけでなく一部は東側もあるのですが、主に中央通りの西側の町と言えます。
 
 新町は、北島書店とその向かい側のマンションはともに新町ですが、旧シンカイ金物店の交差点から先は、北側だけが新町になっていて、シンカイの場所は、三輪です。

 道を挟んで別々の町というのは、道が町の境界線になっているからですが、町の境界が定められた時(江戸時代の初め以前?)、まだそこには人家が少なかったからなのでしょう。

 古くは中世に、1つの道を挟んでいた人たちが結束することになり、それぞれの町の単位ができてきたのではないか。それが変わることなく現代まで受け継がれているのではないか。門前町の地名からそれが読み取れます。

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