最近、1166バックパッカーズのブログの更新頻度が高く、内容も地元の門前の文化的な話題が多く、興味をそそられます。

 1月12日は、「善光寺七小路」についてでした。

 リンク:善光寺七小路って?

 善光寺七小路には、桜小路、羅漢小路、法然小路、上堀小路、下堀小路、花小路(花屋小路とも)、虎小路があります。特に順番は決まっていませんが、江戸時代に選ばれました。

 「他にも小路は沢山あるわけなんですが、どうしてこの7つが善光寺七小路と呼ばれるようになったんでしょう」とブログには書かれていました。
 残念ながら、それを裏付ける文献はありません。そこで、私の考えを書きたいと思います。


 まず、桜小路というのは、桜枝町の江戸時代の呼び方で、町そのものが桜小路と呼ばれていました。それほどの有名な所なので、桜小路は絶対に外せないことになります。

 その桜小路の東(善光寺寄り)につながっているのが、羅漢小路です。そこで羅漢小路も七小路に入ったのかもしれません。

 残りの5つの小路に共通するのは、幹線道路である北国街道と接していることです。

 法然小路と虎小路は、南北の小路です。それぞれ別々の場所にありますが、両方ともに、北国街道と接しています。今の中央通りおよび、今の善光寺交差点を東に折れ、西宮神社前を北に折れ、伊勢町へ出て、東に折れる道が北国街道でした。ですから、この2つの小路は大事な小路と位置づけられてもおかしくありません。東町通りは、小路とは呼べないので、除外されたのでしょう。

 さらに、上堀小路と下堀小路は、北国街道(中央通り)沿いの大門町東側でも善光寺に近い小路です。選ばれるのが自然です。

 さて、そうなると、大門町西側は、今の門前農館前から西方寺へつながる「広小路」ではなく、なぜ、その南にある花小路の方が七小路に選ばれたのでしょうか?
 また、今の西宮神社(江戸時代はこの場所にはなかった)から東に向かう小路は、なぜ含まれていないのかも、私にはまだ依然、謎として残っています。

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