何者にも侵されず、においすら寄せ付けない、
どこまでも白く滑らかな肌。
ホーローをこよなく愛しています。
結婚してから新たに買った食器類はあまりないのですが、
白いホーロー製品ばかりは少しずつ増えてきました。
ホーローは、鉄などの金属にガラス質の釉薬を施したもの。
熱に強い、熱伝導率が高い、酸や塩分に強い、においがつきにくい、
などなど、鍋や保存容器としての利点がいくつもあります。
わが家で最もその能力を発揮しているのは、
オイルポットとシンクポットでしょう。
オイルポットはディノスの、シンクポットは倉敷意匠計画室のカタログで見つけたもので、
どちらも野田琺瑯とのコラボ商品です。
オイルポットは、活性炭カートリッジを取り付ければ
揚げ物をした後のにおいや汚れをきれいに濾しとってくれるので、
新しい油を足しながら、繰り返し使えます。
シンクポットは、水切れが良く、ふたがあるので、
1日分のゴミをためておいても気になりません。
どちらもとにかく掃除がしやすい。
ベタベタもヌルヌルも、さっとひと拭きで落とせます。
そもそもホーローのガラス質の表面は、
雑菌の繁殖を防ぐので、汚れがつきづらいのです。
シンクポットを導入してから、ヌルヌルの温床である
あの憎き「排水口備え付けプラスチック製深型ゴミ受け」を駆逐できました。
こんなに優れものなのに、私が買い求めた時はすでに販売終了していて、
お店の方が自分用に取っておいた最後のひとつをゆずってくださいました。
倉敷意匠計画室さん、ホーロー製シンクポットをぜひ再販してください。
そして「排水口備え付けプラスチック製深型ゴミ受け」の掃除に苦しむ
世の主婦を救ってあげてください。
そういえばわが家のコンロもホーロー製です。
メンテナンス用に貼られたシールによると1995年取り付けとのこと。
15年以上経ってもこの白さ。
やっぱりホーローってすごい!
(妻記)
娘のファンに山口美緒という編集者がいます。
その山口が現在、長野県内のそば店、約120を取材してまわっているのですが、
「家族で行けるそば屋」というページのイメージ写真として、
うちの娘をモデルに使いたいとのこと。
本日はその撮影でした。
撮るのは女性カメラマン、平松マキさん。
場所は長野市三輪の「やまとも庵」さん。
娘の多笑はかけうどん、妻がせいろそば、僕が天丼とざるそばセットを並んで食べたのですが、
「多笑ちゃん、食べて、笑って」と言われても、
なかなか笑ってくれません。
当然ですよね。
真正面からでっかいカメラを向けられ、
両親と横に3人で並ぶという不自然なシチュエーション。
これでニコニコ食べだしたら、モデルとして天賦の才能があるということでしょう。
とりあえず、フォークを使ってつるつると上手に食べてくれたので、
上々のデビューと言えるでしょう。
編集者およびカメラマンの皆様。
娘へのオファー、いつでもお待ちしています。
本は、「そばごのみ」というタイトルで、信濃毎日新聞から4月頃に発売される予定です。
お楽しみに。
(撮影が終わった途端に笑顔で遊ぶ多笑)
(夫記)
昨日2月11日、青麻講(あおそこう)例大祭が青麻社で開かれました。
近所の和田さんから青麻講に誘われるまで、僕は青麻社の存在すら知らなかったのですが、
横沢町公民館の隣、八幡社の脇にある小さな祠が、それでした。
青麻社は、本社が仙台にあり、
中風(ちゅうぶ)除けの守護神だということです。
中風とは、脳卒中や脳梗塞の後遺症による麻痺のことをいうそうです。
なるほど、昔は脳卒中や脳梗塞のメカニズムなど分からなかったでしょうから、
ある日、突然倒れて、体の一部または全部が動かなくなる病、という認識だったのでしょうね。
脳の病気がきちんと診断されるにつれ、「中風」という言葉自体が消えていったのでしょう。
当日は、あいにくの雪の中、ざっと200人くらいが集まり、神主さんが祝詞をあげ、
講員に甘酒が振る舞われ、御札とまゆだまなどが配られました。
さて、わが家には神棚がありません。
まゆだまをどこに飾ればいいのかもわかりません。
やむを得ず、居間の長押(なげし)を利用して御札を立てかけ、
画鋲とひもを駆使してまゆだまを飾りましたが、
風が吹けばどちらもすぐに飛んで行ってしまいそうな頼りなさです。
ちなみに、天井に貼ってある「雲」の字は、昔そこに神棚があった名残です。
わが家の造りでは、神棚の上には2階の部屋があり、
どうしてもその上を踏んでしまうので、
神棚の上には何もない、ということを意味する「雲」という字を
かつての住人が貼ったのでしょう。
(ほかに「空」や「天」という字を書くこともあるそうです)
引っ越してきた時から疑問に思っていたのですが、
ある時、知り合いの建築士さんが教えてくれました。
(夫記)
僕の父親は、よく言えば大らか、悪く言えばテキトーな人です。
息子に対して「勉強しろ」などと一度も言ったことはない放任主義でしたし、
また、各種イベントや年中行事には積極的ではありませんでした。
しかし、なぜか節分に関しては、異常なまでにストイックでした。
家中の窓という窓を開け、その全てへ向けて僕に豆を投げさせ、
「鬼は外、福は内」の声が小さいと、
「もっと大きな声で!」と怒るのです。
小学校高学年にもなると、隣家に聞こえるのが嫌で、
どうしても小さな声になるのですが、許されません。
そして、きちんと歳の数だけ豆を食べます。
父親は40歳を超えても、几帳面に数えては食べていました。
幼い頃、鬼に何かされたトラウマでもあるのではないかと思えるほど、
節分はわが家の重要行事でした。
さて、
一家の長となった僕も、節分にはそれなりの覚悟を持って挑むべし、と思っていたのですが、
仕事を終え帰宅したところ、妻いわく「豆まきは済んだよ」とのこと。
聞くところによると、
クマのぬいぐるみに鬼の面をつけて、申し訳程度に豆をぶつけたそうです。
しかも豆は落花生。
長野では主流だそうですが、殻つきの落花生で鬼が逃げるとは思えません...。
うむむ。
節分スパルタを受けた僕としては思ってしまうのです。
妻よ、それでわが家に福は来るのか。
(夫記)
明日は給料日です。
そして僕のお小遣い日でもあります。
僕は、給与の支給方法が変わったことにより、
家庭内の覇権が男から女へ移った、という説をかねてより唱えています。
すなわち、
かつては給料日といえば、夫が現金の入った給料袋を家庭へ持ち帰り、
「ほら、今月のお給料だよ」とふんぞり返り、
妻が「ご苦労様でした」と押し戴くという構図だったはずなのです。
しかし、時は移り、給料は現金支給から銀行振込となりました。
銀行のキャッシュカードは、家計を預かる妻が持っていた方が効率的かつ自然です。
夫は「今日は給料日だったんだけど...」と給与明細を妻に渡し、
妻は「じゃあ、お小遣いあげなきゃね」と財布から現金を取り出し、
夫はそれを有難く押し戴くのです。
ウディ・アレンいわく、地球は女で回ってる。
専業主婦を妻に持つサラリーマン男性、
そして、サラリーマンを夫に持つ専業主婦なら理解していただけるでしょうか。
わが家の主は妻です。
(夫記)