2009.11.07
11.05 すばらしい大学生たち!
ナノ・ボン・くらしミーティングの途中で、HACIRAくんたちがやってきた。
信大の美術科の何人かも一緒だった。
ミーティングに参加するのかと思ったけれどそうでもないらしい。
よくよく聞いてみると、私と約束していたという。
スマン!
話を聞いてみると、空き家バンクを展開したいという。
わー、なんてタイムリー!
しかもすでにwebのダミー100ページは完成している!
その横でオトナしそうにしている美術科二人組は、
彼らの改装した"豆蔵"にやきもの工房を造りたいという。
こちらのほうもすでに、手づくりコンパクトまき窯を持っているという。
なんて素敵なのだろう、このひとたちは。
さっきも"暮らしと建築社"の発言に大感動したばかりだけれど、
行動力とか根性とか、なんかもう言葉では表せません!
一緒にやりたいな〜、たのしいな〜。
なんかもう毎日すごいです!
(たまみ記す)
三河屋洋傘専門店の奥さん。レトロな手回しミシンで傘を縫われてます。
「ボンクラ」の写真の残りをUPします。
撮影してから5日ほど経過しているので、さらに作業は進んでいると
思いますが...今後との比較のためにも記録記録!
真ん中のブロックにある部屋。電磁波を遮断するため、トタンが全面に貼り付けられている。
ここにも多数の工作機械があり、いちいち重くて運び出すのが大変そうでした。
西側の二階から運び出しているのは、ビニールスリッパ製造機。電熱線でビニールを
溶かして型に押しつけるという解りやすい機械だった。運んでいるのはデザイナーの
太田さんと友人。頑張れ!
こりゃ大事だ...
「ボンクラ」の東側の入り口。相当荒れてますが、綺麗に直せば
風情あるエントランスになるんじゃないかと妄想。
若松町の区長を訪ねました〜。
池田さんは「中国料理 杏林」の店主で65歳。
今年の春から区長の大役に抜擢されました。
区長の中ではバリバリの若手です。
お店は今年92歳になるお母さんが創業しました。
終戦を迎え、満州からひきあげてきた後、開店。
なんにもない状態からのスタートだったそうです。
「景気悪い、なんて言ってちゃ怒られますよ(笑)」
終戦後の、お母さんの苦労を知る池田さんは言います。
池田さんの話はユーモアがいっぱい。
スキがあれば冗談を言って、話をもりあげます。
あまりの高度なおやじ?ギャグについていけず私が放心していると
「なんてね、バカ言ってんですよ、ははは!」とご自分で
ツッコミを入れる始末。
お店では代々信州大学の学生さんたちがバイトをしていて
今もそれは続いています。
「若い人の目じゃないと活性化にならないよ。
若い時ってのはなんでもやるわけ。
自分たちのような年寄りの目でやっても
まちが発展するわけないよ(笑)。
若い人、欲のある、ガッツでもって
まちのことをどんどんやっていってほしい。」
よそ者、若者、に理解があるのは
300人?というバイトの学生さんたちの姿を見て、
育て、送り出してきたからなのかもしれません。
信州大学を、いや「中国料理 杏林」を卒業した学生さんたちは
今や、校長先生や教育関係のエラい人になっている人も
たくさんいるとか。これは池田さんの秘かな自慢でもあるのです。
2009.11.05
11.05. ボンクラ×暮らしと建築社×ナノグラフィカ
東町・ボンクラ、伊那から駆けつけてくれた暮らしと建築社の須永チーム、
ナノグラフィカ、総勢10名による約2時間半におよぶミーティング。
まだ「話のはじまり」という感じで、ざっくばらんすぎて(笑)
ここに書く労力はありません。あしからず。
ただ、印象に残ったことをひとつ。
なぜ、私たちは古い建物が好きなのか。
建築的にも不動産的にも価値がなくても、
どんなにおんぼろでも「この建物いいなあ〜」って思うのか。
その基準は「いかに妄想をかきたてられるか」にあった。
そして新しい建物を建てるよりも
古い建物を利用する方がいいと思うのはなんでか。
「それは新しくできる建物がつまらないからじゃないですか。
これは建築家が悪いんですけど、だったら今あるものを
工夫して使う方がおもしろいですよ」
と、ひとりの建築家が言った。
この人の仕事は新しい建物をたてることだけれど。
そんな風に思っているのは自分たちだけだと思ってたけど・・・。
と、感覚を共感できることのかけがえのなさをかみしめた。
(あやこ記す)