長野・門前暮らしのすすめ

門前暮らし日記

080 門前周辺の地名の謎~続・長野とはどこなのか~

 以前に、077 門前周辺の地名の謎~長野とはどこなのか~という記事で、私は、「上長野、下長野、西長野、袖長野、中長野という小字(こあざ)名が信州大学教育学部や長門町付近にあり、現在でも土地の登記には使用されています。ここが、長野発祥の地だということになります」と書きました。
 では具体的に、それはどこなのでしょうか。ふつうの地図上には掲載されていません。ネットで調べることもできません。そこで、県立長野図書館で、長野県地名研究所が作成した「字境図」で確認してみました。
<上長野>
 花咲町にある公務員宿舎(元裁判所)の立ち並ぶ付近。
<下長野>
 旭町にある信濃教育会館、長野旭郵便局、太平堂、および長門町の市立長野図書館の北側付近。
<西長野>
 西長野町にある元信州大学教育学部付属小学校の校舎のあったを場所を中心とする付近。現在は教育学部北西校舎がある。(西長野といっても、現在の大字西長野のごく一部のこと)
<袖長野>
 西長野町にある教育学部の本館、図書館の付近。キャンパスの主要な校舎が立ち並ぶ一帯がほぼ袖長野ととらえてよい。一部、国道406号線の南側も含まれる。
<中長野>
 西長野町の、西長野と袖長野に挟まれた狭い地域。教育学部体育館の付近。
 こうしてみると、下長野、袖長野、中長野、西長野は隣り合った、ひと続きの地域で、上長野だけは、立町と桜枝町を間に挟んで離れた場所にあることになります。
 長野という場所は、本来は、善光寺町と接した、近郊の農地でした。ところが、その地名が、長野村、長野町、長野市、長野県へと拡大をとげていったのです。現在そこが大学や教育関係機関、公務員アパートなどになっているのは、農地だったため、明治時代にまとまった土地が確保できたことによるものです。