長野・門前暮らしのすすめ

門前暮らし日記

最近の多笑さん

昨日の遊歴書房さんのオープニングパーティーでトークセッションのコーディネーターを務め、そのことで顔と名前とブログが一致したことにより、会場で、思っていた以上に多くの方々から「いつもブログ読んでます」というお言葉をかけていただきました。「いつもどんなオチが来るか楽しみにしてます」とかいうプレッシャーや、「ちっとも『フツウ』じゃないですよね」とかいうツッコミや、「門前グダグダTVぜひ続けてください」とかいう奇特な励ましなどなど、実にさまざまな楽しまれ方をしていることが分かり、とても嬉しく思いました。しかし、その中で、反省させられたのが「最近、多笑ちゃんの写真が少ないですよね」という一言。確かに最近、僕の夜遊びネタが増え、ほのぼのとしたネタの象徴であり、門前の天使とも言うべき(親バカ)長女・多笑のことを書くことが減っていたように思います。omairi_anzai.jpg
最近の多笑は、実に長い時間、善光寺さんに手を合わせるようになりました。その表情は真剣そのもの。何をお願いしたのか、何をお祈りしたのかは教えてくれません。震災復興なのか、家内安全なのか、はたまた人種差別の撲滅なのか。僕が様々な願いを込めたお祈りを終えて目を開けても、多笑はなかなか目を開けず、合わせた手を解こうとしません。2歳児の願いって何だろうな。宗教って心の法律だと思うんです。日本人の自殺者が多いのは、無宗教に近い状態だからだと僕は考えています。道に迷った時に、それでも道を踏み外さないための心の拠り所は必要でしょう。人間はそんなに強くないし、悟りを開ける人なんて滅多にいない。弱った時に道標を示してくれるのが宗教なのではないかと、僕は外国に行くたびに感じてきました。日本人はもう少し宗教について真剣に考えるべきだと。多笑にも直太朗にも、言って聞かせるべき心の法律=宗教について、もう少し学ばなければならないな、と思う今日この頃です。寅さんも御前様の言うことは絶対聞くもんな。(夫記)(おまけ)オープニングイベント初ライブの様子はこちら→「遊歴書房のテーマ」結局、最後は夜遊びネタですいません。