長野・門前暮らしのすすめ

門前暮らし日記

062 まだまだあった銭湯(1)

 銭湯は、まちの社交場です。今となっては意外な、こんな所にもかつて銭湯があったのだと知ると、まちの奥深さが見えてきます。
 かつてあった銭湯の跡地を、昭和30年代の地図をもとに訪ねてみるシリーズ。今回からは、南の門前に範囲を広げていきます。
 まずは、南県町にあった「大国の湯(だいこくのゆ)」です。
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 大国の湯は、現在の長野合同庁舎南庁舎前、この写真中央の駐車場になっている場所にありました。手前(南側)を流れるのは、八幡川です。写真には写っていませんが、写真右側の道路のさらに右(東側)には、信濃毎日新聞社の本社ビルがそびえています。
 大国の湯は、近くに大国主(おおくにぬし)神社があることから名づけられたのでしょう。南県町で生まれ育った私の父小林一郎は、よくこの銭湯を利用していたそうです。
 続いては、権堂町にあった「玉の湯」です。
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 玉の湯は、金刀毘羅通りの地蔵庵斜め向かい側にありました。現在の「ホテルやま」の2軒西どなりです。つまり、現在は「カラオケTIFFANY」と「居酒屋ちくまがわ」の間にあるビルの場所だったことになります。
 権堂町内では唯一の銭湯でしたが、田町の田毎の湯も、権堂と接した場所にありましたから、権堂に銭湯は、玉の湯と田毎の湯の2軒があったとも言えるでしょう。