『国定忠治』の蔵春閣公演の終了とともに、6月から半年間やってきた演劇入門講座が終わりました。この講座が門前にもたらしたものは何だったのか・・・マゼコゼの小池さんが終演後のアンケートに「芝居はよかった、申し分ない。だけど、これからどうやって門前暮らしと演劇(芸術、文化)を結びつけていくのか、それを一緒に考えていかなくちゃね。」みたいなことを書いていて、これまで身内にさえこじつけと言われてしまう『門前暮らしで演劇企画』を進めてきていつもいつも立ちはだかってきたこの問題は予感も確信もあるけれどそれでしかない、わかりにくさ、伝えにくさ、それによる大変さを抱えていてだからといって簡単なことじゃないことも承知しながらもどかしく、誰か教えてと叫びたいこともしょっちゅうです。例えば今回の集客に関して事前の予約が少なくて、権堂の野外版もあったし、エネルギーが拡散しちゃったかなあと心配していたものの、結局は出演者の知り合いが大勢観に来てくれて結局二日で200人、プレビューをあわせると260人、権堂野外公演も入れたら500人の人に観てもらえたわけですが、制作側としては、出演者に集客を頼るのは情けない、『門前で演劇』が浸透していない現実をつきつけられたそんな思いもあって複雑な心境でした。そんな思いに対して今回演劇を初めてやった6人の家族や同僚、友人など、演劇を見たことがない、その人のそのような営みを見たことがない、そういう人たちが理由はどうであれ、劇場に足を運び、演劇を観た、しかもその劇場は、その大きさや過去の偉功とは無縁に、日常的に訪れる人のほとんどいない建物で、舞台と客席は利用者の手によって手作りされた、そのような行為は価値がある、と言ってくれる人もいます。門前暮らしと演劇を結ぶこと。行為を積み重ねていくこととそれを言語化する作業。私にとっては途方もない作業ですがもしかしたら言語化しなくてもいいような世界をめざせばいいのか?あっ、そっちの方が途方もないですね。(たまみ)