長野市立後町小学校(西後町)は、児童の減少に伴い、平成25年(2013)3月で閉校になりました。
その敷地は、大部分が、平成30年(2018)4月開学の長野県立大学後町キャンパスになりました。学生寮の「象山寮」には、約250名もの学生が暮らしています。また、南東の一画には、後町ホールと呼ばれる体育館的な建物が、市によって、建設されました。
その後町ホールの一部屋に、後町小学校同窓会が「同窓会室」を設けました。
ふだんは、鍵が閉まり、拝見することができません。しかし、今年(2019年)4月7日、長野県議会議員選挙の投票に、後町ホールが使われた日、「同窓会室」は初めて一般に公開されました。
戸のついた古い下駄箱も、保管されていました。中には、後町小の子どもたちが書いてきた作文を掲載した文集などが収められていました。
さて、閉校から6年経った今年(2019年)の春、1つの変化がありました。
後町小の子どもたちは、西部中学校に進学していました。
後町小がなくなった時、後町小の学区は、城山、加茂、鍋屋田、山王の各小学校の学区に分割されました。でも、旧後町小の学区は、西部中学校の学区として残っていました。
ところが、今年、旧後町小学校の通学区だった町の内、東後町と問御所町(現在・鍋屋田小学区)の中学校の学区が、地元の要望により、西部中から柳町中に変更されたのです。
その理由は、次のようなものでした。
東後町と問御所町は「第3地区」と呼ばれ、権堂町や西鶴賀町などと行政区では一緒なのです。権堂や西鶴賀の子と同じ、鍋屋田小に通っています。そこで、東後町や問御所町の子も、権堂や西鶴賀の子と同じ、柳町中に進学したいというものでした。
西部中の通学区の範囲に残されていた旧後町小の学区の痕跡が、この春、ほとんど気がつかれないままに姿を消したのでした。
学校がなくなることは、長い時間をかけても、地域の人たちの暮らしに変化をもたらします。これからの未来に、門前周辺の学校の在り方を考える時、考慮しなくてはならないことです。
私は問御所町に住んでいますので、この変化を知る者として、ここに記しておきます。