このほど、富士山の世界遺産登録が決まりました。
世界遺産には、文化遺産と自然遺産、複合遺産の分類があります(複合遺産は日本にはありません)。富士山は、最初は自然遺産として登録しようとしましたが、断念し、文化遺産として登録しようということになりました。
富士山の文化とは何なのか、専門家が議論を重ねて行き着いたのは、「信仰」と「芸術」でした。正確には、富士山は、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という名前で世界遺産登録されました。信仰なくして、富士山の世界遺産登録は、あり得なかったのです。
信仰とは何かの定義は難しいでしょうが、日本には無数の神社や寺院があります。その中で、富士山、浅間神社にお参りに行きたいと思うかということではないでしょうか。しかし、富士山はお参りに行くより、現在、自然のダイナミックな美しさの対象として見られていることがほとんどだと思います。
さて、最近の日本人は信仰心が薄れたとはいえ、善光寺には、お参りしたいからこそ訪れる人たちはまだまだ多いです。富士山以外の世界遺産、たとえば、京都や奈良、日光や熊野などのお寺や神社と比較しても、善光寺は圧倒的にお参りに行きたい人が多い場所です。
私は以前、長野駅から善光寺入口までの案内ガイドをしてきましたが、善光寺に対する熱い思いを持った方々と多く出会い、こちらが学ばされました。
決して富士山のようにダイナミックな形はないけれど、それに劣らない多くの人たちの思いによって、支えられている。そういう寺の門前に、私たちは暮らしています。