5月27日(月)、長野放送NBS月曜スペシャルで、高田瞽女(ごぜ)についての放送がありました。
リンク:NBS月曜スペシャル「わが心の瞽女(ごぜ)さん」
高田瞽女(ごぜ)は、高田(新潟県上越市)を本拠地とし、三味線を弾き唄い、村々を旅をしながら信州へも足をのばしていた盲目の女性たちです。昭和40年代に、娯楽がテレビなどに移り、瞽女の文化も途絶えました。
その瞽女(ごぜ)さんの一人が大事にしていたという、手のひらに乗るほどの大きさの置物が、番組の中で紹介されていました。善光寺の近くで買ったそうです。番組では解説されませんでしたが、私はそれが、刈萱道心(かるかやどうしん)と石童丸(いしどうまる)親子の置物であることに気づきました。そうです、刈萱道心と石童丸といえば、まさしく善光寺の近く、かるかや山西光寺と往生寺に伝えられている伝説です。
なぜ、その瞽女さんは、刈萱道心と石童丸の置物を大事にしていたのだろう? そう考えていたら、こんなことに思いあたりました。
刈萱道心と石童丸は、九州の博多から、はるばる信州の地まで旅をしてきた旅人でした。また、刈萱道心と石童丸は子弟で、本当は親子でありながら、刈萱道心は出家した身でしたので、石童丸に自分が父親であることを名乗ることができなかったのです。瞽女にも、子弟関係があり、親と別れて入門してくる厳しい世界でした。
もしかしたら、その瞽女さんは刈萱道心と石童丸親子の生き方に深く共感するものがあったのかもしれません。高田瞽女と、善光寺の門前町が私の中でつながりました。
忘れられがちですが、善光寺に伝わる話といえば刈萱道心と石童丸親子だということを、地元長野で大切な文化だととらえていく必要があると再認識しました。