エヌジンに「長野市の地名の謎~七瀬よ、再び~」という記事を書きました。
こちら門前暮らしのすすめでも、これから地名について書いていこうと思います。
西之門には、上西之門町(かみにしのもんちょう)と西之門町という2つの町があります。一方、東はというと、東之門には上東之門はなくて、東之門町1つですね。これはどういうことなのでしょうか。
西之門は、もともと1つでしたが、江戸時代の中期には、上西之門町と下西之門町(しもにしのもんちょう)の2つに分かれました(『長野県地名大辞典』)。この下西之門町というのが、現在の西之門町にあたります。
また、西之門の南には、西町(にしまち)があります。西町も、江戸時代に、上西町と下西町に分かれました。現在、住所を書く時にはどちらも西町としますが、区としては西町上(にしまちかみ)と、西町南に分かれたままです。
それに対して、東町も、東之門町と同様、東町上や東町南というふうには分かれていないのです。
西側で町がたくさんに分かれている理由は定かでないのですが、西側の方が東側よりも繁華街として発展していたからではないかと私は考えています。
善光寺町は、裾花川の谷口集落として発展してきました。西側の山中の村々の人々が善光寺町に買い物に来たり、行き来が盛んだったことから、西の方が、町の入口として、商売をする上で、条件もよかったものと思います。その名残りが、現在も続く桜枝町の商店街です。
それにしても、江戸時代にすでに現在の町のような南北の区分けが決まってしまって、以来そのままなのですから驚きです。