善光寺七小路について、引き続き、私の考えを書いていきます。
善光寺七小路のうち、江戸時代の「桜小路」は、今の桜枝町そのもののことを指していて、しかも小路とはいえ、通りの幅がかなり広いです。これはどうしたことなのでしょうか?
桜小路は、少なくとも室町時代からある古い地名です。しかも、道そのものは平安時代からあったと推定されます(参照:『角川日本地名大辞典』)。平安時代だから確かなことは言えませんが、最初から広い道があったとは思えません。
また、時代とともに、小路の意味も変わってきている可能性があります。
小路(小さい道)に対して、大きい道はどこかというと、もともと善光寺界隈では今の善光寺参道(中央通り)のことでしょう。それと比較したら小さいので、小路と言うのに違和感がなかった時代があったのかもしれません。
明治7年に桜小路は、桜枝町に町名を変更しますが、既に小路と言うのには、抵抗があったからでしょう。
最近、新たに路地・小路に名称をつけようということが積極的に行われるようになりましたが、小路が一部の人にブームになってきたのは近年のことです。近代になって、小路はどちらかというと、否定的な響きを持ってきました。
広い4車線の国道406号線が大門町を横切ることになった時、「下堀小路」は大事な道だから残そうという動きは起りませんでした。結果として、下堀小路は406号線の一部となって、消滅してしまいました。
小路には、その時代ごとの人々の価値観が強く反映されています。道そのものはあっても、桜小路の名はなくなり、下堀小路は失われてしまいました。羅漢小路も、江戸時代とは違う道のことを指すことになりました。
最近は小路に関心のある人が増えていますが、小路が積極的に評価されるまでにはまだ全く至っていないと言えます。これからも善光寺七小路は地元の人に愛され、残り続けてほしいと思います。