長野・門前暮らしのすすめ

門前暮らし日記

063 まだまだあった銭湯(2)

 銭湯は、まちの社交場です。今となっては意外な、こんな所にもかつて銭湯があったのだと知ると、まちの奥深さが見えてきます。
 かつてあった銭湯の跡地を、昭和30年代の地図をもとに訪ねてみるシリーズ。今回も、南の門前からです。
 まずは、問御所町にあった「千歳の湯」です。
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 千歳の湯があったのは、デパート「丸光」(後に、丸光そごう、長野そごう)の北側で、現在のTOiGO SBC棟の北側付近です。写真では、トラックが停まっている付近です。昭和24年(1949)4月に長野商工振興会が発行した『長野市とその周辺』には載っていませんので、その後にできたのでしょう。
 名前は千歳の湯ですが、千歳町(上千歳町)に立地していたわけではありません。(そういえば、明治時代に権堂にできた劇場「千歳座」も千歳町にあったわけではありません。)
 続いては、南千歳町にあった「黄金の湯」です。
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 黄金の湯は、しまんりょ小路と千歳町通りから入った場所にあり、現在は、パーキングポエムの中になってしまいました。駐車場なので正確な位置がわかりませんが、この写真の中央付近にあったと思われます。
 『南千歳町誌』(平成19年発行)には、昭和15、16年ごろの地図があり、そこに黄金の湯が載っています。南千歳町で生まれた太田廣さん(昭和2年生まれ)は、こう証言しています。
 「町の真ん中に『黄金の湯』という銭湯があり、ずいぶんにぎわっていたことを覚えています。釜に薪をくべる様子がおもしろくてじっと見ていたら、従業員にジロッとにらまれ、でも意外にやさしく『気をつけろよ』と声をかけられたこともありました。」(『南千歳町誌』100ページ)