長野・門前暮らしのすすめ

門前暮らし日記

022 県庁は城山になっていた?

 善光寺界わいは、「長野県」が始まった場所です。
 長野県は、明治4年(1871)7月、西町の西方寺本堂を
仮の庁舎として業務を始めました。お寺なので、本堂内は
畳ですが、そこに赤いじゅうたんを敷き、お役人が靴を履いた
まま仕事をしていたということです。
 この西方寺本堂は、それから建て替えられることなく、
今もそのまま残っていて、貴重な建物です。特に文化財指定
されていませんが、これぞ「県宝」ではないでしょうか。

 明治7年10月、今の信大教育学部の場所に県庁舎が新築
され、西方寺から移転しました。ところが、この建物は、
明治41年5月に、原因不明の火災で全焼してしまいました。
 広い用地を確保するため、現在の場所に移転新築をすること
になりました。しかし、この際、松本市へ県庁を移転させよう
という意見や、市内でも城山や加茂神社付近への移転を求める
意見もありました。
 実は長野県庁は、明治41年11月から、城山公園にあった
共進会参考館という建物を仮の庁舎として、使ったのです。
だから、城山に県庁をつくるのも、自然な発想です。県庁は
その後、大正2年6月に現在地に移転するまでの約3年半もの
間、城山の地で業務を行いました。
(ちなみに現在の県庁の建物は、昭和42年の再建です)
 
 城山は、歴史上、何かと話題になる場所です。