僕は胴上げが大好きです。
するのも、されるのも。
あの一体感と晴れがましさ、
宙に舞う時は、自分が世界の中心にいるような高揚感に包まれます。
さて、この愛すべき日本のならわし「胴上げ」ですが、
善光寺に由来があるという説を、たまたま見ていたウィキペディアで知りました。
以下、引用。
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「胴上げ」の発祥は長野市善光寺とする説がある。
善光寺において、12月の2度目の申(さる)の日に、
寺を支える浄土宗14寺の住職が五穀豊穣、天下太平を夜を徹して祈る
年越し行事「堂童子(どうどうじ)」で、仕切り役を胴上げする習慣がある。
この行事は江戸時代初期には記録があり、
少なくともそのころから胴上げが成されていたことは確かである。
『ワイショ、ワイショの掛声のもと、三度三尺以上祝う人を空中に投げ上げる』
と書かれている。
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何と、わが家のすぐそこに、愛すべき「胴上げ」の発祥とも言われる行事があるとは!
急いで12月2度目の申の日が何日なのかを調べてみると、
...、すでに過ぎ去りし12月24日金曜日でした。
僕はその頃、クリスチャンでもないのに、アホみたいな顔して
チキン片手にシャンパンを飲んでいました。
胴上げ見るにはあと一年待たなきゃいけないのかぁ。
(夫記)
僕は写真があまり上手くありません。
しかし、僕は写真が好きです。
だから、年賀状は毎年いかに写真で魅せるかを考えます。
今年は長男が生まれたので、主役は子供二人ということになります。
しかし、これが大変でした。
何せ長女の多笑は1歳11ヵ月、長男の直太朗は生後2週間です。
大人の思惑通りには動いてくれません。
まずは直太朗の目が開くのを待つのに3時間(この間、大量の駄作を生産)。
直太朗の目が開いてからは、
多笑が直太朗の近くに寄ってくれるよう仕向けるのに数十分。
もう少し、多笑が優しい顔をしてくれたらいいな、
もう少し、直太朗が目を開いてくれたらいいな、
と待ち続けた結果(この間にも、50枚近く駄作を撮影しました)、
突如、多笑が「だっこ、だっこ」といいながら弟を抱きかかえてくれ、
どうにか二人のいい表情を捉えることができました。
ちょっと早いですが年賀状の画像をアップします。
来年もよろしくお願いいたします。
(夫記)
12月9日午後7時5分、長男・直太朗が生まれました。
出産を前に、一家揃って若槻にある妻の実家へ移った直後のことでした。
これから1ヵ月くらいは、こちらで過ごします。
門前で暮らしていない以上、なかなかブログも更新できないと思います。
さて、僕は出産に立ち会ったのですが、
妻がヒーヒー言っている間に、僕はUFOのことを考えていました。
UFOに遭遇した人の体験は、
母親のお腹の中から出てきた瞬間の記憶が
何かをきっかけにフラッシュバックしてきたものだという説についてです。
確かに、宇宙人にさらわれたという体験談は、
大抵、オレンジ色の光に包まれ(胎内から外へ出て)、
大抵、手術台(分娩台)にくくりつけられて、
大抵、白っぽい服に身を包んだ宇宙人(産科医、助産士)に囲まれてますよね。
(矢追純一の特番を見る限り)
分娩台の傍らで、いきむ妻の手を握りながら、
確かにここはUFOの中みたいだなぁと考えておりました。
(夫記)
横沢町公民館で行われた餅つきに行ってきました。
わが横沢町の餅つきは特別です。
何せ町内に「溝口餅店」さんがあるからです。
あれこれと細かい指示を出してくれるので、格別な餅がつきあがります。
集まった子どもたちは約20人。
横沢町だけでは人数が少ないので、隣の花咲町にも声をかけているそうです。
子どもの数は年々、減少傾向だそうで、
ピーク時の約30年前は横沢町だけで70~80人はいたそうです。
最初についた餅は、ゴマと塩をいれた「かき餅」。
僕は用事があり、そこまでで帰ってきましたが、
その後、餡子やきな粉餅もつくったそうです。
お土産に持たせてもらった餅は、何とも言えない歯ごたえの格別な味わい。
娘の多笑もこの笑顔です。
(夫記)