武井神社(東町)の西側の南北の道を「虎(とら)小路」と言います。
虎小路を歩いていると、武井神社の周囲の玉垣がよく見えますが、そこには「長野市芸妓家組合」と刻まれた玉垣がたくさんあります。
かつて権堂には、たくさんの芸妓(げいぎ)さんがいました。それだけ、料亭は繁栄していました。
最近、京都はもちろん、金沢や新潟でも、芸妓さんは再び注目を集めています。もう1人もいなくなってしまった長野市では、その復活はたいへん難しそうです。
でも、このたくさんの玉垣が、この町の、かつての芸妓の存在の大きさを物語っています。
『権堂町史』という本には、大勢の芸妓さんの顔写真が載っています。