長野・門前暮らしのすすめ

門前暮らし日記

046 「寺ナカ」としての仲見世

 善光寺の参道・仲見世通りには、たくさんの商店が軒を連ねています。
 また、仲見世通りの西側に平行している西院(さいいん)通り、東側に平行している釈迦堂通りのそれぞれ内側(仲見世通り側)も、商店や住居が建ち並んでいます。善光寺には宿坊(院と坊)が39もありますが、このエリアには、宿坊は一軒もありません。
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 なぜそうなっているのかには、理由があります。現在の善光寺本堂は、約300年前の江戸時代1707年建立ですが、その前まで本堂があったのは、この仲見世の中央付近だったのです。現在、仲見世の中央にある延命地蔵尊は、本堂のご本尊がまつられていた瑠璃壇(るりだん)の跡です。
 つまり仲見世は、元々は善光寺本堂のある境内地で、堂庭(どうにわ)と呼ばれていました。庭ですから、そこに宿坊はなく、その周りを宿坊が取り囲むように建っていました。ですからその名残りで、西院通りと釈迦堂通りの内側には現在でも宿坊はないわけです。
 この仲見世通りには、江戸時代から仮設の建物が建っていましたが、永久建築が許されるようになったのは明治以降です。以来、民間の建物で商売を続けたり、人が暮らし続けたりすることが認められている場所ですが、土地としては善光寺大勧進と大本願の一部となっています。
 
 つまり、いま流行している「駅ナカ」と似ているんですね。
 「駅ナカ」は商業地で、様々な業種の店が出店していますが、場所はJRの所有で、駅の中の一部です。仲見世も、善光寺の中にあり、いわば「寺ナカ(てらなか)」(私の造語)です。
 それでも、駅ナカとの違いは、出入りの自由さです。切符(拝観券)を買わずにいつでも入れます。また、「寺ナカ」の仲見世も、外側に広がる門前町の中核の場所と見なされています。善光寺の中にありながら、門前町の核でもあるという、興味深い構造になっています。
 「駅ナカ」がもてはやされるのに、「寺ナカ」は全く注目されていません。善光寺という宗教空間の一部でもある仲見世が、商業的に目立ってはいけない事情もあるでしょう(あくまで主役は善光寺でなくてはなりませんから)。
 それでも、空き店舗が一軒もない仲見世通りは、全国のまちづくりの先進地として発信され、市民の誇りとなっていいのではないでしょうか。
 仏教と、商業や日々の暮らしとは、決して別々の存在ではないのですから。